就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

ある東大生の進路選択

就活を始めるに至った私のこれまでの経緯を書こうと思います。

 

民間企業に初めて興味を持ったのは、大学2年生の冬でした。2年生の夏にアメリカに2週間の留学体験プログラムに行き、そこで4年生の就活が終わった先輩方と関わる機会があったのがきっかけでした。大変優秀で素敵な方ばかりで、いろいろと刺激を受け、もっと自分の世界を広げてみたくなりました。それで教育系の企業のONEDAYインターンに参加してみました。今まではあまり民間企業に良いイメージをもっていなかったのですが、そこで民間もすごい良いこと面白いことをやっているのだとわかり、印象が変わりました。

同時にもともと国家公務員志望だったので、警察庁の短期インターンシップにも参加しました。グループディスカッションを通じて政策を考えるという内容だったため、グループのメンバーと仲良くなることができ、その後も何度か交流するようになりました。国家公務員志望の人間とは気が合うと感じ、やはり国家公務員が自分に合っていると思いました。

3年生の6月あたりから、夏季インターンシップの募集が始まり、就職組の早い人は就活を始めます。私もそれに便乗し、合説に参加して、インターンシップに応募しました。話を聞いて、コンサルに興味を持ち何社か応募しました。考え方が面白かったですし、自分の考えをしかっり持っていて、ものをはっきりいうところが素敵でした。しかし、後になってみると、周囲の東大生もみんなコンサルがいいなと言っており、結局キラキラに流されていたのだと思います。結論としては、コンサルは自分にはあっておらず、選考のWebテストやグループディスカッションで何社も落とされました。やっとのことで1社勝ち取ったインターンシップでも上手くやることができず、挫折を経験しました。また、たまたま合説のブースで声をかけてもらったITベンチャーインターンにも参加しました。しかしそれも、グループワークで全く会話に入れず失敗体験となりました。そこから、自分には民間は向いてないのだと思いました。話していて、ビジネスという枠組みにどうもついていけず、自分は国家公務員の頭で政策という枠で物を考えてるんだろうなと感じました。

そこから国家公務員になるため、試験勉強に打ち込みました。しかし、思うように勉強が進まず、能力も伸びませんでした。

モチベーションを上げるため、春には第一志望の文部科学省インターンシップに2週間参加しました。職場に混じって、組織の末端として仕事をするという形式で大変臨場感がありました。すごくしっくりきて、仕事にはやりがいがあり、そこが自分の居場所のように感じました。職場の方々には仕事が早いとか、優秀だとか、今までにないくらい評価してもらえて嬉しかったです。それを通じて、将来は文部科学省官僚になって、教育制度から社会を変えていくのだと覚悟を決めました。そして必死に試験勉強をしました。しかし思うように伸びず、5月の試験に落ちてしまいました。

 

全力をかけてきた目標が砕け散り、このまま盲目に邁進していてもダメなのではないかと疑問を抱くようになりました。もっと人生を探求しようと思い、いろいろなことを始めました。まずは、法律の勉強が面白くなかったことが敗因だろうと思い、自分の興味と専門を生かして、人間科学という区分で国家公務員試験を受け直そうと考えました。そして、予備校を変えて、新たに勉強を始めました。

同時に、これまで勉強と部活ばかりやってきたので、何か人の役に立つことがしたいと思い、介護と障害児支援を行っている福祉系NPOでアルバイトをすることにしました。予備校の授業料のローンを組んだので、そのバイトで稼いで自力で払っていこうと決めました。

しばらくそれでやっていましたが、いろいろあって上手くいきませんでした。(この経緯はSNSには載せられません。)とりあえず、自分て勉強はできるけど、人の役に立ちたいと思ってもあまりできることないなと感じてしまいました。

この時期には、併願と試験の練習を兼ねて、地方公務員もいくつか受験しました。それも上手くいきませんでした。試験は上位で合格しながら、二次選考の集団討論では最下位で落とされたこともありました。だだ、それでそこまで落ち込まないほど、大して地方公務員に魅力を感じていない自分にも気付きました。

 

紆余曲折あり、自分はこれまで、なんとなく人のためとか、社会のためになる仕事を選択したいと思ってきましたが、結局それが自分に向いてなかったのではないかと気付きました。これまで自分が人の役に立てるときは、基本的に役立とうと思って役だてるということはほとんどなく、自分が一生懸命前向きに頑張っていることで自然に周囲に良い影響を与えるというパターンが多かったのです。そのため、自分は、自分が成長することを目指すのが一番合っていて、ついでに出会った人に良い影響を与えていくというスタイルが向いているのだと悟りました。

また、9月には教養という区分の国家公務員試験があり、私はそれに向けても勉強をしていました。直前期には集中的に過去問演習を行い、本番に向けて気合を入れていました。しかし、集中して勉強したわりには手応えがなく、がっかりする気持ちが募りました。そこで、かつての東大入試の直前期を思い出しました。1回1回の演習に集中する度に成長や気づきがあり、すごくきつかったけれど同時に何より充実した時間でした。公務員試験勉強にはそういうやりがいが、東大入試に比べてだいぶ欠けているのだと気付きました。公務員試験は、単純処理や単純暗記が多くて、全然人を成長させてくれないぞ、という思いを抱きました。そんな試験に全力をかける価値はあるのかと考えました。いや、ないという考えに至り、そこで思い切って国家公務員への志を断ちました。

 

そして、新たに自分にやりがいを感じさせてくれることを見つけようと、民間就活を始めました。今まで民間は嫌だと思っていました。ビジネスとかよくわからないと思っていました。学問や政策は理解できるけどビジネスはカオスで意味不明だと、避けていました。でも、これまでやってきたことの中にやりがいを見出せるものがなくなってしまったので、それはもう諦めて、わけがわからなくても新しいことを始めようと決意しました。

民間は、会社がいっぱいありすぎて、それぞれで価値観とか求めてくるものとかが皆んな違って、これまで枠の中の比較的整った世界で生きてきた人間には、正直カオス以外のなにものでもありません。でも、福祉の世界と比べると、企業は利益を追求する分合理的に考え、取引社会のため言葉ではっきりと説明してくれるので、理解はしやすいのだと思いました。そして、就活エージェントの方々や人事の方々が、なんだかんだ一期一会で丁寧に接して下さり、その都度気づきが得られたので、この世界で頑張っていこうと思いました。

 

私は、やっぱり現段階だと、思考回路は国家公務員に近いし、客観的にみてもおとなしくてまじめで公務員らしい人間なのだと思います。でも、公務員を目指していて行き詰まり、その世界にも限界を感じ、そこに自分の道はないと感じました。だから、今は、自分に新たな世界を見せてくれて、新たな可能性を示してくれる、ビジネスの世界を志そうと思っています。そして学力を情報力に転化して、就職活動を頑張っていこうと思います。

 

長文失礼しました。

 

(そういうことなので、はてなブログもまだ使い方とかよくわからないのですが、とりあえずいろいろ調べながら、利用できるところを利用していこうかなと思います。)

真面目なエリートが挫折することについて

 真面目なエリートが挫折をするということについて、しばらく考えてきて思うのは、「真面目」だからこそ挫折して辛い思いをするのではないかということです。

 

そもそも「真面目」とはなんでしょうか。私はここしばらく、「真面目」とは組織や体制の価値観に傾倒することではないかと思っています。本来の意味の真面目はそうではないかもしれませんが、どうしても社会において真面目であるということはそういう方向性を持ってしまいます。

よって真面目な人は、組織や体制など、自分を取り巻く環境の価値基準に従って一生懸命頑張るわけです。

 

しかし、社会とは、その性質からして、真面目な人が報われるようにはできていません。社会では、本当に真面目であろうがなかろうが、その集団の価値基準と合致した人が成長し、支配的な地位について、そしてその価値基準で社会を運営します。社会学における「再生産」の理論です。勉強のできる人が学校で良い成績をとり、東大まで進み、官僚になって社会のルールを決めるというようなことです。それと同じことがすべての人間集団で行われています。

頑張ってその中で戦っていけばどうにかなる…という面もあるにはありますが、しかし東京大学に入って、世の中は本当に不平等なのだとわかりました。庶民あがりの自分とは違いもともと家がお金持ちな人、一浪してやっと東大に入った自分とは違いすんなり現役合格してしまう人、勉強だけではなくもとの人柄により自然と人を惹きつけてしまう人、など最初から持っているものが違うのだと実感させられました。

 

そういう人達が作っている社会で、その人達が決めた基準に沿って戦っても、当然負けます。

だから、「真面目」に頑張って勝てるのはもともと組織や体制と合致した資源や能力を持ってる人だけで、そうでない人はむしろ律儀に「真面目」に頑張ってしまうと、負けて社会の敗者になってしまうのです。

 

社会の中でまっとうに適応して努力することで、それなりに力はつきました。私は進学校に入って、浪人時代は東大専門の予備校に通って、そして東大に入って、部活もずっと厳しい部活でやってきて、常に優秀で意欲の高い人達に囲まれて王道ルートできました。競争社会の中で周囲にもまれにもまれてすごく力がつきました。しかし、途中で限界が来てしまって、それ以上進めなくなりました。

実は挫折する前は、厳しいからって途中で部活やめちゃって、それで他のこと楽しくやっている人が、私にはなんだかずるく見えてました。根性ないなと思いながらも、なんか楽しそうだなと羨ましく思っていました。そしてむしろ上手くいってるのってそういう人だったりして、とにかくずるいなと思ってました。

でも、実際問題として、成功する人って、そういう風に上手く自分に合う環境に乗り換えられた人か、もともと体制の求めるものと自分の持って生まれた能力が運良く合致していて、真面目にまっとうに頑張れば頑張るほど報われていく人のどちらかなのだと思います。世の中は本当に理不尽です。

 

でも世の中が理不尽でも、死なない限り一生懸命生きてくしかありません。

とりあえず、今は、人間、やっぱり自分の土俵で戦わないとダメなんじゃないかな、ということを考えています。

ただ、完全に違う方向に土俵を変えても全然だめだったので、土俵を少しズラすということが良いのではないかと模索しています…。