就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

新企画:ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本<第1回>!!マックス・ウェーバー『職業としての学問』

こんにちは。

 みなさまお元気ですか。私は、諸事情により足首が腱鞘炎になってしまい、あまり外に出歩くことができません(笑)

 そこで、家で過ごす時間が増えたため、ブログの記事を増やすことにしました!

 これまでは、主に就職や人生など重いテーマを扱ってきましたが、それだけだとあまり更新が進まないので、新たに、読んだ本の感想を書くコーナーを始めてみようと思います!

 

 

 第1回は、マックス・ウェーバー著の「職業としての学問」を扱おうと思います!

 

 すごく堅そう、と思われるかもしれませんが、毎回堅いのを取り上げるつもりはなく、他の回では禅とか、占いについてとか、全くジャンルの違う本も扱おうと思っています。でも、今回はもうすぐ大学卒業も控えているので、この本でいこうと思います!

 

 特に、学者になることを考えている方や学問の本質に興味があるかた、一流中の一流の学者がどういうことを考えているのかを知りたいかた、逆に学問なんて意味があるのかと疑問をもっているかた、そんな方々におすすめしたい1冊です。

 

 著者のマックス・ウェーバー先生は、言わずと知れた大社会学者・政治経済学者です。東大法学部の授業をとるとすごくよくとりあげられています。官僚制の研究や、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の論文が有名ですよね。

 そんな大学者先生が、学生に対して行った講演の内容をまとめたものが、この「職業としての学問」です。そのため、学生たちに向けて、職業として学問に取り組むことはどういうことなのか、またそもそも学問とはどういうものなのかについて語られています。東京大学を卒業し、これから学問を離れる私にとっては、凄く心にしみてくる内容でした。

 

 まず、印象に残ったのが、はじめに学問の外的条件について述べられているところでした。大学の制度について比較・検討し、学者として生きることについて客観的に評価をしています。なんだかんだ、研究が評価されて報われるか否かは、学問的に正しいかだけではなく、教授に気に入られるか、ポストが空くかなどの「運まかせ」となってしまう面があると指摘しています。そして、学生たちに向けて、「あなたは、凡才につぐ凡才が、毎年毎年、あなたをさしおいて昇進していく様を、憤慨もせず、悲嘆にもくれず、じっとみていられると心底思いますか?当然ながら、答えはいつも同じ。『もちろんです。わたしはただ自分の「天職」に従うのみです。』そうはいっても、わたしがみたところ、悲観的にならずにこういう状況に耐えられたのはほんのわずかにすぎません。」というふうに述べています。天狗になって、なんでもわかったつもりになっている人であれば、こんなことは言えないですよね。厳しい現実から目を背けずに進んできた、ウェーバー先生だからこそ言えることなのだと思いました!

 頭が良い学生に対して、研究者になればよいとはよくいわれることですが、実はその道は大変厳しく、だれもが成功して自分の好きな研究に熱中して過ごせるわけではないのです。それをわかっていてなお、博士課程の道に進む人は、やはり素敵だなと思うこの頃です。

 

  

 次に印象に残ったのが、学問・科学と宗教についての議論です。ウェーバー先生は、この本で、科学の宿命とはどういうものか、そして学問にできることできないことはそれぞれ何か、対して宗教や神学はどういうものかということについて述べています。しかし、ここではざっくりと、私の感じたことを書いてしまおうと思います。

 

 端的にいうと、学問は、人生をどう生きるべきか、日々どのように行動すべきかというような、人として切実に湧いてきてしまう疑問には、その本質からして答えてくれないものなのだとわかったということです。ウェーバー先生は、はっきりと、それを示すのは学問や科学の役割ではなく、宗教や指導者の役割だと述べています。哲学をし、社会を制度を研究すれば、必ずそこにおいて人がどのように考え行動しているのか、また本来の社会はどうあるべきなのか、などということを考え始めてしまいます。人と議論を交えれば、いったい何をもって正しいとするのか、考えざるを得なくなります。しかしその中で、科学や学問が説明できることとできないことがあるのだと、そして学問の役割はここまでなのだと、専門家として堂々と言いきってしまえるのはかっこいいなと思います。そして、そのおかげで、自分が感じていたもやもやはそういうことだったのかと、やっと腑に落ちることができました。

 

 確かに、科学は、学問は、技術として、また考える際の道具として、大変役に立ちます。でも、考えても考えても、やっぱり理屈だけでは説明しきれない部分が出てきてしまうものなのです。それをわかっていてなお、論理を極める道を選ぶのはすごいことだと思います。一方で、諦めて神やカリスマ指導者に尋ねることも実はしごく妥当な選択なのだと思います。私は、スピリチュアルの世界に尋ねることにしたわけですが、自分にとっては、理屈で説明しきれないところの解決がどうしても必要で、それがその道を選ぶことになった理由です。

 

 

 以上、「職業としての学問」の感想でした!

 もう少し軽い内容にするつもりでしたが、わりとがっつりとしたものになってしまいました(笑)第2回はもっと軽やかにいきたいです…。

 

参考URL:

職業としての学問