就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

コミュ障東大生の最強処世術ー人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略ー[2]

[2]フレームワークの転換

 今回は、コミュニケーションに対するフレームワークを転換することについて書きたいと思います。

 今回からは、これまで文章が抽象的すぎたのを反省して、少し書き方を変えてみたいと思います。理想は、誰にでもわかりやすく、かつ内容は深い文章です!

 さっそく難しい言葉を使ってしまいましたが、「フレームワークを転換する」とは、見方・考え方を変えるという意味です。つまり、コミュニケーションにおいて、これまで人に言われるなどして、当たり前と思っていた考え方を、もう一度捉え直してみようということがテーマです。

 具体的には、
・人に話しかけることと人から話しかけられること
・集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか
という2点について書いていきたいと思います。

⑴人に話しかけることと人から話しかけられること

 コミュニケーション能力が低いと思ったとき、多くの人がまず考えるのは自分から人に話しかけなければということですよね。
 しかし私は、それよりも、とにかく声をかけてくれた人にありがとうと思って丁寧に対応することの方が大切だと考えます。


 例えば、学校で新しい友達をたくさん作ろうと思ったとします。そのとき、まず多くの人は、自分から周囲の人へ話しかける回数を増やそうと考えるはずです。そして、親や教師からはそういうふうに教えられてきたはずです。
 それで上手く行く人も当然たくさんいますし、人に話しかけることが楽しければ何も問題はありません。

 しかし、本当に人と関わることが苦手な人は、声をかけること自体に多大な勇気が要りますし、頑張って声をかけても声が小さかったり、冴えない人間だったりすることで、無視されたり、雑に扱われたりと嫌な思いをすることも沢山あります。
 クラスの人気者が話しかければ笑顔で答えていた子が、冴えない自分が話しかけたときはそっけないというような経験はありませんか?私はずっとそうだったので、いくら自分から声をかけ続けても思うように関係を構築していくことができず、自信も全くつきませんでした。

 それよりも、人と関わる上でまず大切にすべきことは、向こうから声をかけてきてくれた人に、ひとりひとり、ありがとうという気持ちで丁寧に対応していくことだと思うんです。
 どんなに人気がなくても、声をかけられることはどこかのタイミングであるはずです。当然他の人よりも回数は少ないですが。そのタイミングを逃さず、折角話しかけてきてくれたのだからとその人と関わる、そのひとつひとつの積み重ねが人との関係を作っていくと思います。
 そして、このやり方なら、無理に声をかけなければとメンタルを蝕まれたり、焦って突拍子も無いことをしてしまったり、自分のペースを変に崩す必要もないわけです。

 逆に、それができたら、ある程度自信がついたところで、自分から話しかけたりすることもできるようになっていくと思います。
 

 また、誰からも声をかけてもらえないというのならば、何かひとりででできることに打ち込むのもよいと思います。何かに一生懸命な人には、自然と誰かしらが興味を抱くようになります。そして人から話しかけてもらえる機会が増えて、少しづつ人間関係も良くなっていく気がします。始めに自分磨きありきという考え方です。



⑵集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか

 学校や社会で生きていると、とにかく集団行動を教えられるので、人間関係に関して、集団単位で考えがちになります。
 集団に上手く馴染めているかとか、会話に入れているかとかそういうことにばかり目がいきますよね。
 しかし私は、人と関わる上で大切なのは、集団でわちゃわちゃすることよりも、1対1で人としての関わることなのではないかと考えます。

 例えば、上記と同じ学校の例ですと、クラス内のグループのどこかに入らなければとか、人が集まって会話していたらそこに入っていかねばならないとか、そういうことばかり考える人が多いと思います。そして、実際にどこのグループにも入っていなかったり、人の輪に入っていなかったりすると、それではダメだ、ちゃんと輪に入るべきだと主張する人が多いですよね。

 でも私は、人との関わりの基本は、やはり1対1の人間関係だと思うんです。立場に関わらず、どこでもどんな時も、ひとりひとりそのとき出会った人との関わりを大切にする、それが大事だと思います。

 

 例を挙げると、クラスの人気者Aさんが話しかけてきたときや、会話の中心になっているBさんが話を振ってくれたときだけに、自分はグループに所属できたからうまくいったのだと喜ぶのではなく、クラスの端の方で、いつもおとなしいCさんが声をかけてきたときも、道でばったり会ったDさんとおしゃべりしたときも、関われてよかったなと、個人単位で判断していくということです。

 現実には、集団で話をしていると何がなんでも輪に入ろうとするけれど、輪から外れたとこで地味な子がひとりでいても、誰も相手にしないということがよくありますよね。私が大切にしているのは、例えばそんなCさんが輪の外で話しかけてきても、個人として関わって、その関わりに感謝するということです。

 



 以上、2点について述べてきましたが、やはりふつうに学校や社会で過ごしていると、自分から話しかけなくてはとか、会話に入らなければダメだとか、そういうふうに思い込んでしまいます。学校でそういう教育を受けていますし、社会とはそんなものなので当然そうなります。でも、こうやって少し見方・考え方を変えてみると、コミュニケーション能力最底辺の社会不適合者だとしても、まだまだできることがあるように感じませんか。

 そもそもコミュニケーションをしろと言ってくる人は、無意識に人と上手く関われてしまう人が多く、普通の人と同じようにできない人の気持ちが基本的にわかりません。そのため、なんの考えもなく、輪に入れ、ぼっちになるなとか言ってきて、そういうひとに限ってなんの有益なアドバイスをしてくれないことが多いと感じます。それでひとと関わるのが本当に苦手な人は、やっぱり自分はコミュ障でダメなやつなんだと自信をなくし、人と関わるのが嫌になっていきます。
 でも、少なくとも私は、そんな最底辺から、自分なりのやり方でのしあがってきました! 

 だから、そういう自分を否定してくるような人の言葉には耳を貸さず、このブログを読んで元気を出して過ごしていただけると嬉しいです(笑)

 

 最後に、本見解は、タイトルどうり、あくまで私個人が「東大生」として考えた意見を書いたものであって、社会人としての意見をを書いたものではないことにご注意ください。

 また、一流の接客業の方や飛び込み営業で成功されている方などで、なんとなくではなく、本気でスキルとしての対人能力を身につけたことで、できない人にもしっかりしたアドバイスをできる方もいらっしゃいます。
 そういう方の見解にはまた別に学べることが沢山あるので、私の見解はそれらを否定するものでは全くありません。

 以上にご注意いただいた上で、文章をお楽しみいただければ幸いです。

 少しはわかりやすく書けていたでしょうか^^;…