就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

学校と社会ー理想と現実の狭間で…

あけましておめでとうございます!

1月とか全く関係なく、もやもやと考えていることを書きたいと思います。

全然おめでたくない内容です笑

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学校教育では、将来何になりたいかとか、小学校の頃からよく考えさせられます。

 

私は、小学校の頃は本を読むのが好きだったから、作家になりたいと答えていました。

しかし、高校生になると、社会問題とかに関心が出てきて、漠然と途上国支援に関わりたいなとか考えるようになりました。そして、授業の一環か何かで、本を買って、国連職員について調べてみたら、これはコミュニケーション能力の高い活発なタイプの人がなるものだろうと思えて、無理だと諦めました。その後、自分に向いてそうな国家公務員を考えるようになりました。国家公務員について調べていくと、わりと自分と近いタイプの人がなっているような気がして、どんどんその気になっていきました。また、高2の冬頃に学校で辛いことがあって、学校教育に疑問を覚えたことから、教育制度に興味を持ち始め、文部科学省を目指すようになりました。そして行き詰って八方塞がりになり、思い切って民間就活に切り替え、そしてベンチャーに内定をもらい、今に至っています。

 

結局言えるのは、現実の社会って、自分の考えていたのとは結構違ったということなんだと思います。そして、人間はわりとなんとなく社会の流れに従って生きてるだけなんだということです。そして、運悪く、自分の思い描いていたことと現実社会とのズレに足をすくわれて痛い目をみる人がいるということなのです。それは学校教育で教えることが理論的というか、綺麗事というかなんというか、現実社会とわりとギャップがあるから必然なんだと思います。

 

理屈で説明するのとは違って、現実社会はただ「似たような価値観の人が集まってその仕事をしてる」というふうにできているのだと感じます。社会は人が集まって、人と人とのつながりでできていのです。例えば、子供にものを教えるのが好きな人や学校によい思い出がある人が教師になります。(そして教師の価値観が学校の価値観になって、それと合わない子供がなんとなく学校に行きたくなくなって不登校になります。)細かい解釈とかにとことんこだわるのが好きな人が研究者になります。なんとなく勉強ができて、社会に関心があって、何でも器用にこなすような人が官僚になります。(そしていい感じにエリートとして社会に君臨します。)型にはまるのが嫌いな人や、しがらみなく自由に楽しくやりたい人が、自分で起業したりベンチャーに行ったりします。だから、頭でこの仕事がやりたいと思ったところで、実際にその仕事につけるとは限らないのです。どうしてもその職業集団との相性ということがあるからです。

 

つまるところ世の中はそういうものなのに、私は文部科学省に入って、本気で教育行政に人生を捧げようとか思っていました。もし国家試験に受かったとしても、情熱云々に関わらず、官庁訪問で囲い込みされてた人たちが採用されるだけなのに…。そう考えると、あんなに情熱を燃やしていた教育行政だけれど、あそこで潔く諦めて本当によかったと思えます。

 

学校で教えられる社会と、実際の現実は違います。そのなかで、私は運良く理想を追いかけて負のスパイラルに陥るルートから抜け出せました。それは武道を通じて培った、禅の断捨離精神があったからです。何事も積み重ねが大事だと、よく言われます。そして、常識的に考えればそれが正しく思えます。しかし、私はこれまでの執着や思い込みを斬り捨てることで前に進むことができました。理不尽な世の中コノヤロウ、と既存の価値基準を蹴りつけることで新しい道が開けてきました。夢や志を諦めるのはよくないことで、諦めずに続ければ最後には成功できる、そんな語り口が結構あるけれど、本当にそれで上手くいくのは一部の運が巡ってきたラッキーな人たちだけです。現実には、諦めずにぐじぐじ固執してなんの成果も得られない状況は、なんとも惨めなだけです。(それをやっていて何か強烈なやりがいがあればまた違ってくるのでしょうけれど。)現実の厳しい人生を生き抜いて、自分の納得いく人生を勝ち取るには、理想論だけじゃなくて、潔く斬り捨てて前に進むってことも必要なんだとわかりました。

 

ただ、やっぱり夢とか志をもつことを全て否定してしまうのは悲しいことに思えます。そういうものを追求したこともないくせに、現実を見ろとかいう大人はすごく嫌だなと思ってしまいます。やるとこまでやりきったからこそ、自信をもって方向転換できたし、人生に後悔はないって言い切れます。まあでも、自分はこれから先ずっと、夢や志があったからここまで頑張って成功できたのだと、何の疑いもなく言う人たちについては、なんて恵まれたラッキーな人たちなんだと、羨ましく感じてしまうのでしょうけれど…。