就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本  <第2回> 『占いのトリセツ』

 こんにちは。卒業までまだ時間があるので、なにか新しいことを始めたいなと思いつつ、あまり良い出会いが得られずに煮詰まっているこの頃です(泣)

 そのため、自分で唯一コツコツ進められる読み書きに勤しんでおります(^^;

 

  今回第2回は、占いについての本を扱いたいと思います。賛否両論あるかと思いますが、この本のテーマである「占いを使う」という観点にフォーカスして紹介したいと思います。

 

 

  今回扱う本の題名は、『幸運を導く 占いのトリセツ』です。「トリセツ」とは「取扱説明書」の略であり、その名のとおり、占いを人生をよりよくするためのツールとして、どう使っていくのがよいかということが書いてあります。

 

 この1冊は、占いを使って幸運をつかみとりたい方、占いという不思議な世界に興味がある方、なんでもよいから人生に勝ちたい方などには特におすすめしたいですし、逆に占いなんて信じないという方、科学と聞いたらなんでも信じてしまう方(笑)などにも読んでいただきたいです!

 

 著者は占星術研究家のクーア(Cooa)さんで、私のお世話になった新宿「癒しと占いのお店メグーア」をはじめとした占い館を経営する経営者であり、映画のタロットアドバイザーなども務めて活躍されている方です。最近ではLineのトーク占いでも鑑定をされているようです。

 

 

 まず、気になったのが、著者が占いに興味をもったきっかけが、自分と似ていたことでした。

 

 クーアさんが占いと出会ったのは、アメリカロサンゼルスで映画の専門学校に通い、役者を目指していたときでした。そのとき彼女は、外国人というハンディを背負いながらがむしゃらに頑張り、なかなかうまくいかない状況に悩みながら、どうしたらオーディションにうまく合格できるかを模索されていました。

 クーアさんはその時感じたことをこのように書いています。

「アメリカにいると、日本ではなかなか出会えないようなポテンシャルの高い人達との出会いがあります。この人達はみなキラキラしたオーラを持ち、有能で性格もよく運もあり、ビバリーヒルズで高級車を乗り回し、高級住宅街の豪邸に住み、欲しいものは全て手にしていました。…(中略)…しかし、同じ人間なのにこの人達と私はいったい何が違うのか、どんな考え方をして、なにが見えているのか。この人達みたいになるためには自分をいったいどう変えていけばいいのか、いつも探求していました。」

 

 同じ人間なのに、なぜあの人達はあんなにキラキラしていて、自分とこんなにも違うのか・・・。なにがなんでも、自分を変えて、ああいうふうになっていきたい・・・。そんな切望する気持ちに私はすごく共感しました。

 

 なんだかんだ、人間、どうしようもない格差に対して憤って、それを超えてやりたいというときがあると思うのです。そういう気持ちに対して、もっと正直でいても良いのではないかと感じました!

 

 

 そして、次に、突筆すべきところは、なんといっても本書のチャプター1「占いを知る」に書かれている内容です。

 

 クーアさんは、占いは、「当たるか、当たらないか」ということは大して重要ではなく、「占いの結果から何を感じたのか」という方が大切だと述べています。

 

 占いでポジティブな結果が出たらよかった、と安心する。しかし少し経つと本当に当たっているのかと不安になる。このような、結果によって不安が大きくなってしまったり、依存して一喜一憂心が揺れ動いてしまっている状態は、占いを有効に使えていないのだと指摘しています。

 逆に占いは、「天気予報を見るような感覚」で、「運勢を読むツール」として使いこなせれば有効だというのです。例えば、「なにかやりたいことがあって、早くすすめようとしてもなかなかスムーズにいかないとか、邪魔ばかり入るときは、ムリにすすめようと思っても今はタイミングではないんだな。ととらえるようにしています。」というふうに述べていますが、今は向かい風が吹いている、だから無理に進もうとせずおとなしくしていよう、というように使っていけばいいのだと思います。

 

 私は、このような捉え方が、占いに限らず、すべてにおいて重要だと考えます。世の多くの人は、占いを参考にしたといえば、そんなものを信じて大丈夫かと批判しますが、科学を参考にしたとか、法律を参考にしたといえばむしろ賢いと賞賛するでしょう。でも、これまで勉強してきて思うのは、所詮科学も法律も人がつくったもので、全く頼り甲斐がある完璧さには程遠く、必ずどこかに限界があるのだということです。完璧なアプローチなんてこの世に存在しません。それなので、科学であろうが、法律であろうが、占いであろうが、その道具の性質を良く理解し、そして自分の人生のプラスになるように使いこなす、そんな主体的姿勢が何より大切なのではないかと思うのです。

 

 以上、ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本シリーズ第2回でした。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!!

参考URL:

幸運を導く占いのトリセツ

新企画:ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本<第1回>!!マックス・ウェーバー『職業としての学問』

こんにちは。

 みなさまお元気ですか。私は、諸事情により足首が腱鞘炎になってしまい、あまり外に出歩くことができません(笑)

 そこで、家で過ごす時間が増えたため、ブログの記事を増やすことにしました!

 これまでは、主に就職や人生など重いテーマを扱ってきましたが、それだけだとあまり更新が進まないので、新たに、読んだ本の感想を書くコーナーを始めてみようと思います!

 

 

 第1回は、マックス・ウェーバー著の「職業としての学問」を扱おうと思います!

 

 すごく堅そう、と思われるかもしれませんが、毎回堅いのを取り上げるつもりはなく、他の回では禅とか、占いについてとか、全くジャンルの違う本も扱おうと思っています。でも、今回はもうすぐ大学卒業も控えているので、この本でいこうと思います!

 

 特に、学者になることを考えている方や学問の本質に興味があるかた、一流中の一流の学者がどういうことを考えているのかを知りたいかた、逆に学問なんて意味があるのかと疑問をもっているかた、そんな方々におすすめしたい1冊です。

 

 著者のマックス・ウェーバー先生は、言わずと知れた大社会学者・政治経済学者です。東大法学部の授業をとるとすごくよくとりあげられています。官僚制の研究や、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の論文が有名ですよね。

 そんな大学者先生が、学生に対して行った講演の内容をまとめたものが、この「職業としての学問」です。そのため、学生たちに向けて、職業として学問に取り組むことはどういうことなのか、またそもそも学問とはどういうものなのかについて語られています。東京大学を卒業し、これから学問を離れる私にとっては、凄く心にしみてくる内容でした。

 

 まず、印象に残ったのが、はじめに学問の外的条件について述べられているところでした。大学の制度について比較・検討し、学者として生きることについて客観的に評価をしています。なんだかんだ、研究が評価されて報われるか否かは、学問的に正しいかだけではなく、教授に気に入られるか、ポストが空くかなどの「運まかせ」となってしまう面があると指摘しています。そして、学生たちに向けて、「あなたは、凡才につぐ凡才が、毎年毎年、あなたをさしおいて昇進していく様を、憤慨もせず、悲嘆にもくれず、じっとみていられると心底思いますか?当然ながら、答えはいつも同じ。『もちろんです。わたしはただ自分の「天職」に従うのみです。』そうはいっても、わたしがみたところ、悲観的にならずにこういう状況に耐えられたのはほんのわずかにすぎません。」というふうに述べています。天狗になって、なんでもわかったつもりになっている人であれば、こんなことは言えないですよね。厳しい現実から目を背けずに進んできた、ウェーバー先生だからこそ言えることなのだと思いました!

 頭が良い学生に対して、研究者になればよいとはよくいわれることですが、実はその道は大変厳しく、だれもが成功して自分の好きな研究に熱中して過ごせるわけではないのです。それをわかっていてなお、博士課程の道に進む人は、やはり素敵だなと思うこの頃です。

 

  

 次に印象に残ったのが、学問・科学と宗教についての議論です。ウェーバー先生は、この本で、科学の宿命とはどういうものか、そして学問にできることできないことはそれぞれ何か、対して宗教や神学はどういうものかということについて述べています。しかし、ここではざっくりと、私の感じたことを書いてしまおうと思います。

 

 端的にいうと、学問は、人生をどう生きるべきか、日々どのように行動すべきかというような、人として切実に湧いてきてしまう疑問には、その本質からして答えてくれないものなのだとわかったということです。ウェーバー先生は、はっきりと、それを示すのは学問や科学の役割ではなく、宗教や指導者の役割だと述べています。哲学をし、社会を制度を研究すれば、必ずそこにおいて人がどのように考え行動しているのか、また本来の社会はどうあるべきなのか、などということを考え始めてしまいます。人と議論を交えれば、いったい何をもって正しいとするのか、考えざるを得なくなります。しかしその中で、科学や学問が説明できることとできないことがあるのだと、そして学問の役割はここまでなのだと、専門家として堂々と言いきってしまえるのはかっこいいなと思います。そして、そのおかげで、自分が感じていたもやもやはそういうことだったのかと、やっと腑に落ちることができました。

 

 確かに、科学は、学問は、技術として、また考える際の道具として、大変役に立ちます。でも、考えても考えても、やっぱり理屈だけでは説明しきれない部分が出てきてしまうものなのです。それをわかっていてなお、論理を極める道を選ぶのはすごいことだと思います。一方で、諦めて神やカリスマ指導者に尋ねることも実はしごく妥当な選択なのだと思います。私は、スピリチュアルの世界に尋ねることにしたわけですが、自分にとっては、理屈で説明しきれないところの解決がどうしても必要で、それがその道を選ぶことになった理由です。

 

 

 以上、「職業としての学問」の感想でした!

 もう少し軽い内容にするつもりでしたが、わりとがっつりとしたものになってしまいました(笑)第2回はもっと軽やかにいきたいです…。

 

参考URL:

職業としての学問

 

人に喜んでもらうということ

 前回の文章をお読みいただき、また宣伝にご協力くださり、大変ありがとうございました。

今回は、人に喜んでもらうということをテーマに文章を書きたいと思います。

 

 最近、ある人と、「論文を書くのと違って、テレビに出ると、テレビ局の人が喜んでくれる」という話をしました。

ここには、勉強が他者との関係よりも、自己満足中心のものであるということが端的に表れているように感じました。

勉強や学問は、自己が学ぶことや真理の探求が本質的なものであり、そもそも人に喜んでもらえるものではないのだと、最近わかってきました。

 

 もちろん、テストで良い点を取ることで周囲から評価されたり、研究を教授や社会から評価されたり、勉強を生徒に教えたり、上手くいくとそういう喜びを得ることもできます。私は、つらくても、テストで点をとることが自分の将来を開いていくと信じ、また教育政策に関する学問を追究し、良い論文を書くことが何らかの形で国の役に立つと信じ、勉強を続けてきました。でも、残念ながら、私は、いくら点をとっても、自分が正しいと信じることを論文で主張しても、頑張ったわりには周囲に受け入れてもらうことができませんでした。結局、勉強することは将来自分だけでなく社会のためにもなるのだと信じていても、信じていただけで自己満足の域を出ることができなかったのです。

 

 進路を転換して勉強から離れ、民間企業の世界に入ったことで、なんというか、自然な形の「人に喜んでもらって嬉しい」という感情を知ることができました。テレビに出たことで、ADさんが喜んでくれましたし、応援メッセージをくれた方がいました。それがなんだか嬉しかったです。会社のインターンで初めてプログラミングをして、アプリ(結構しょぼかったけれど)を作ったら、社長が喜んでくれました。あれ、こんなに喜んでくれるんだと嬉しかったです。ブログを書いたら楽しく読んでくれているというコメントをいただきました。もとは記述問題や論文で培った文章力だけれど、それで喜んでくれる人がいる。それがなんだか嬉しかったです。

 これまでの自己満足中心で過ごしてきて、むしろ周囲からは疎まれがちの人間だったので、そういう小さなこと、喜んでくれる人がいることが自分にとってはすごく新鮮で、嬉しいことでした。

 

 ただ、人に喜んでもらうこと自体を自分の目標にするのは、少なくとも自分には向いていないのも確かですが。学校では、人のためを思ってしたことが裏目に出てしまうことが何度もありましたし、社会で人に貢献するような仕事(福祉など)にチャレンジしてもほとんど自分にできることはありませんでしたから。結局、私という人間は、根本が頭がよいだけであまり空気の読めない人間なので、残念ながら向いていないこともあるのでしょう…。

 自分にできることは、ひたすら自分を磨いて向上する、人生に勝つことを追究する、そしてその途上で人に喜んでもらうということに尽きるのだと思い、ここはもう諦めて精進していこうと思います。

 

 最後に、前回の高島屋さんのプロモーション企画を経て感じたことをまとめたいと思います。

 結論から言うと、プロモーション自体は、本質が宣伝であるため、あまり喜んでもらえるものではなく、やっていてあまり楽しいと思うことができませんでした。むしろ、人から拒まれる恐怖との戦いとなってしまいました。

 しかし、実際にブログなどを通じて多くの方にリアクションしていただいたことで、自分にはこんなに応えてくれる人がいるのだと感じ、それがすごく嬉しかったです。

 また、他の新卒同期のメンバーに声をかけをして、高島屋さんの入口でお客様に登録してもらうイベントを行ったのですが、その企画を喜んでくれた人が多くいたことが嬉しかったです。

 

 おそらく、宣伝だけでは、勉強と同じようにただやったことに満足する、自己満足中心のものと変わらないのだ思います。

個人的には、それよりも、人が喜んでくれるようなもの(プログラムなども含めて)を何か作るということ、また集まってくれる人が喜んでくれるような企画を行うこと、そういうことを、これから社会に出てやりたいなと感じました。

 

 これまでどうり、自己満でひたすら自分を磨きつつも、これからは、人に喜んでもらうという小さな幸せを大切に、人生を歩んでいきたいなと思います。

 

 

 

東大生の勝ち方から個人としての勝ち方を目指して…

 この投稿では、一般的なエリートと独立して成功している人の勝ち方の違いについて、考察したことを書いてみたいと思います。

 

 また、今回は宣伝も兼ねているので、読んでみてよかったと思ってくださった方は、文末のURLをクリックしてリアクションをいただけると幸いです。

 

 もう既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はTBSの「好きか嫌いか言う時間」というテレビ番組に出させていただいておりました。それを通じて、日頃関わっている東大エリートの方々とは、全く異なるタイプの方々とコミュニケーションをとる機会に恵まれ、さまざまな気づきを得ることができました。

 

 その中でとくに印象に残ったものが、一般的なエリートとテレビに出るような方々との勝ち方の違いでした。

 それは、ひとことで表すと、”同じ”で勝つか、”違い”で勝つかということでした。エリートとは、どういう人間でしょうか?なんとなくすごい人、という風に感じると思いますが、社会的な構造から洞察してみると、ある社会における統一された価値基準に沿って勝ってきた人々と捉えることができます。例えば、東大生とは、学校という社会システムの中で、勉強という統一された基準において勝ちをおさめてきた人間です。つまり、同じような人の中で同じようなやり方で勝つということがエリートの前提なのです。官僚や教師が画一的な考え方を取りがちと言われる所以はここにあります。通ってきたルートも、勝負のルールも同じなのですから、似たような考え方に偏ってしまいがちなのは当然です。ちなみに、スポーツエリートや芸術エリートも同じような原理だと思います。

 

 一方で、テレビ業界で勝つためには、同じルートである必要も、同じやり方である必要も全くなく、むしろ人との違いが威力を発揮します。もちろん、ジャニーズや吉本など(あまり詳しくは知りませんが)、学校に通うのと同じように、ある程度統一された訓練を受けて突出してくる芸能人もいます。しかし、それと同じくらい、全く関係のないルートから勝ち上がってくる人もいます。例えば、学校にも行かずに、芸能事務所に所属して、個人的にプロデュースしてもらって仕事を取ってくる人がいます。それまで全く関係のない仕事を転々としてきた中、偶然テレビに出てブレイクした人もいます。本業の傍らで、顔を売るために積極的にテレビに出ている人もいます。いずれにせよ、どの人も一般的なエリートのように、人と同じような正統とされるルートで勝つのではなく、個人として人との差異を活かして勝ってきているということが言えるでしょう。そのため、こうしなければならない、ああしなければならないと周囲の顔色を伺うこともなく、皆さん自由で大胆に生きています。ちなみに、私の就職するベンチャーの社長をはじめとする、起業家の方々も、こちらの原理だといえるでしょう。

 

 私は、どちらの勝ち方がよいというつもりはありません。ただ、人生に勝つためには、両方の要素が必要なのではないかと最近感じるのです。決められたルートに沿って他者と競争する中で成長できること、気づけることもたくさんあります。しかし、それだけでは行き詰まってしまうこともあります。人と比較しないで自由に個性を伸ばすことで生きられる人生があります。しかし、それだけではたどり着けない境地もあります。結局、両方をバランス良く兼ね備えながら、自分の納得出来る人生を歩んでいく、そういうことが大切なのではないかと思うようになりました。

 

 ところで、今まで自分がやってきたのは、当然ながら前者の勝ち方です。しかし、自分は、これまでの人と同じ基準の中で勝つやり方から、個性を伸ばして人との差異で勝つやり方にシフトしていきたいと考えています。東大生は、所詮学歴に依存しているだけ…。そんな風に言われてしまう状況から、学力を武器に変え、1人の人間として自立していく、そういう人間になっていきたいのです。勉強が評価されなければ何もできない、そういう弱い人間で終わりたくはありません。そして、そのためにはどんどん挑戦して変わっていかなければなりません。

 

 現在、私はITベンチャーに就職が決まり、これから自立して仕事をしていける人間になるために、高島屋さんのバレンタイン企画プロモーションのお仕事に取り組ませていただいています。1/26-2/14まで、新宿高島屋さんでは、Lineおともだち企画を行っており、高島屋さんのLineを友達に追加していただくと、無料でメッセージクッキーを受け取ることができます。このLineのお友達登録を増やすことが私のミッションとなっています。

 もとが公務員志望ですし、わからないことばかりなのですが、学歴という枠に依存せず、個人として自立した人間となるために、一歩一歩挑戦していかねばならないと思っています。そして勉強ゴリ押しではなく、ひとりひとり縁を築いて進んで行く、そういうことができるようになったらいいなと思って取り組んでいます。

 

 それなので、もし、この文章を読んでいいなと思ってくださった方がいたら、下記のURLにアクセスまたは、QRコードを読み取っていただき、新宿高島屋さんをLineのお友達に追加していただけたら嬉しいです。(たとえ文章が気に入らなくても、甘いものが好きな方は登録をしましょう笑!)

 また、お時間の許す範囲で、ご自身のSNSやLineグループで当URLをシェアして、お友達登録を増やしていただけると幸いです。

 

 http://ad.eqsv.jp/c/?guid=ON&n=DQWO&mid=g0l9

(※アプリからで開けない場合は、1度ネット上で開いてからクリックをお願いいたします)

 

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  文章が長くなってしまい、後半は宣伝となってしまいましたが、ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございました!!

 今後とも一味違った個性のひかる文章を投稿してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします!!

 

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学校と社会ー理想と現実の狭間で…

あけましておめでとうございます!

1月とか全く関係なく、もやもやと考えていることを書きたいと思います。

全然おめでたくない内容です笑

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学校教育では、将来何になりたいかとか、小学校の頃からよく考えさせられます。

 

私は、小学校の頃は本を読むのが好きだったから、作家になりたいと答えていました。

しかし、高校生になると、社会問題とかに関心が出てきて、漠然と途上国支援に関わりたいなとか考えるようになりました。そして、授業の一環か何かで、本を買って、国連職員について調べてみたら、これはコミュニケーション能力の高い活発なタイプの人がなるものだろうと思えて、無理だと諦めました。その後、自分に向いてそうな国家公務員を考えるようになりました。国家公務員について調べていくと、わりと自分と近いタイプの人がなっているような気がして、どんどんその気になっていきました。また、高2の冬頃に学校で辛いことがあって、学校教育に疑問を覚えたことから、教育制度に興味を持ち始め、文部科学省を目指すようになりました。そして行き詰って八方塞がりになり、思い切って民間就活に切り替え、そしてベンチャーに内定をもらい、今に至っています。

 

結局言えるのは、現実の社会って、自分の考えていたのとは結構違ったということなんだと思います。そして、人間はわりとなんとなく社会の流れに従って生きてるだけなんだということです。そして、運悪く、自分の思い描いていたことと現実社会とのズレに足をすくわれて痛い目をみる人がいるということなのです。それは学校教育で教えることが理論的というか、綺麗事というかなんというか、現実社会とわりとギャップがあるから必然なんだと思います。

 

理屈で説明するのとは違って、現実社会はただ「似たような価値観の人が集まってその仕事をしてる」というふうにできているのだと感じます。社会は人が集まって、人と人とのつながりでできていのです。例えば、子供にものを教えるのが好きな人や学校によい思い出がある人が教師になります。(そして教師の価値観が学校の価値観になって、それと合わない子供がなんとなく学校に行きたくなくなって不登校になります。)細かい解釈とかにとことんこだわるのが好きな人が研究者になります。なんとなく勉強ができて、社会に関心があって、何でも器用にこなすような人が官僚になります。(そしていい感じにエリートとして社会に君臨します。)型にはまるのが嫌いな人や、しがらみなく自由に楽しくやりたい人が、自分で起業したりベンチャーに行ったりします。だから、頭でこの仕事がやりたいと思ったところで、実際にその仕事につけるとは限らないのです。どうしてもその職業集団との相性ということがあるからです。

 

つまるところ世の中はそういうものなのに、私は文部科学省に入って、本気で教育行政に人生を捧げようとか思っていました。もし国家試験に受かったとしても、情熱云々に関わらず、官庁訪問で囲い込みされてた人たちが採用されるだけなのに…。そう考えると、あんなに情熱を燃やしていた教育行政だけれど、あそこで潔く諦めて本当によかったと思えます。

 

学校で教えられる社会と、実際の現実は違います。そのなかで、私は運良く理想を追いかけて負のスパイラルに陥るルートから抜け出せました。それは武道を通じて培った、禅の断捨離精神があったからです。何事も積み重ねが大事だと、よく言われます。そして、常識的に考えればそれが正しく思えます。しかし、私はこれまでの執着や思い込みを斬り捨てることで前に進むことができました。理不尽な世の中コノヤロウ、と既存の価値基準を蹴りつけることで新しい道が開けてきました。夢や志を諦めるのはよくないことで、諦めずに続ければ最後には成功できる、そんな語り口が結構あるけれど、本当にそれで上手くいくのは一部の運が巡ってきたラッキーな人たちだけです。現実には、諦めずにぐじぐじ固執してなんの成果も得られない状況は、なんとも惨めなだけです。(それをやっていて何か強烈なやりがいがあればまた違ってくるのでしょうけれど。)現実の厳しい人生を生き抜いて、自分の納得いく人生を勝ち取るには、理想論だけじゃなくて、潔く斬り捨てて前に進むってことも必要なんだとわかりました。

 

ただ、やっぱり夢とか志をもつことを全て否定してしまうのは悲しいことに思えます。そういうものを追求したこともないくせに、現実を見ろとかいう大人はすごく嫌だなと思ってしまいます。やるとこまでやりきったからこそ、自信をもって方向転換できたし、人生に後悔はないって言い切れます。まあでも、自分はこれから先ずっと、夢や志があったからここまで頑張って成功できたのだと、何の疑いもなく言う人たちについては、なんて恵まれたラッキーな人たちなんだと、羨ましく感じてしまうのでしょうけれど…。

就職先決定のご報告をかねて… 〜私の就活に霊能者が必要だった3つの理由〜

お久しぶりです。

就職活動に進展があったのでご報告させていただきます。

先日、内定をいただき、就職先が決定いたしました。エージェントさんの仲介により、よいご縁に巡り合い、ITシステム系のベンチャーに内定をもらいました。

もともとの専攻とは全く関係のない分野でしたが、会社と社長さんと価値観が合ったため、面接を進むことができました。面接ではビジネスの知識よりも、これまで何を頑張ってきて、どういう人間になりたいかが重視されていたため、私のような不器用で見栄えが悪い人間でも受け入れていただけました。

 

就職活動をするにあたり、多くの方々から応援のメッセージやアドバイスをいただき、大変嬉しく勇気付けられました。ありがとうございました!!

 

ここで、就職活動が一旦落ち着いた機会に、私が就職活動において用いた「霊能者に相談する」という特殊な手段について、一筆書かせていただきたいと思います。

突拍子もない手段ではありますが、自分の中では大変まっとうな理屈のもとで成り立っているものであり、それがなければ、多くの方々から応援メッセージをいただいたり、魅力的な企業さんから内定をいただいたりすることはできませんでした。

 

よって、なぜ、私は東大生でありながら、就職活動に霊能者を必要としたのか、以下、その3つの理由を説明させていただきたいと思います。

 

①ITベンチャーという結論が、既存の自分の経験からは全く予測のできないものだったということ。

 これまで私は学校教育という枠の中で、ひたすら勉強で勝って上を目指すという道を選んで進んできました。そして、勉強ばかりに時間を投資することにより、コミュニケーションの時間も必然的に減り、一層自分には勉強しかないのだと思い込むようになりました。そんな自分にとっては、公務員が最も妥当な選択肢でしたし、当然のように親をはじめとする周囲もそう考えていました。しかし霊能者の方は、勉強しかできないと枠に閉じこもる方向ではなく、どんどん人と関わる方向を目指すようにとおっしゃいました。(実は、正確にいうと、おっしゃったのは、霊能者の方を介した、私の守護霊様なのですが…)それにより、私は既存の行動パターンにとらわれず、新たな方向を目指してチャレンジをし、思ってもみないような多くの出会いを得ることができました。

 

②挫折が重なって、誰の言葉も信じられなくなってしまったこと。疑心暗鬼になっていたこと。

 勉強を重ね、学問を深めることにより、この世に完璧に正しいものはなく、結局のところ、社会では権力者や勝者の言葉が正しいとされていると考えるようになりました。社会とは、ある価値基準の元に人々が集まったものであり、その中心となる人が正しいと主張することに従って動いている、そういうものだと思うのです。

また、周囲が優秀な人達ばかりであることで、正しいかとか、努力をしているかとか、人格者であるかなどは意外と関係なく、結局器用な人が勝っていくのだと感じるようになりました。というのも、東京大学ともなると、もはや努力をするのは当たり前で、生まれもった能力と運が大きく差をつけていくようになるからです。そこで私は、不器用な自分が、周囲の器用で優秀な人のいうことを聞いて同じように努力しても、同じように上手くはいかないのだと気が付きました。どんなに素晴らしい人でも、やはり自分の経験や立場に従ってアドバイスをするので、限界はあります。だから人間を超えた存在からの助言が必要だと考えたのです。

 

 ③生きる意味がわからなくなったこと。

 これは時代の影響が大きいと思います。高度経済成長の時代は、ひたすら頑張って生産していれば、それに伴って成果が出て、わりと努力が報われていく時代だったと言われています。しかし現代ではグローバル化や情報化が進展し、これまでとは社会のあり方が大きく変化しており、それにより人々の生き方も変化しています。そして、既存のルールがだんだん通用しなくなってきて、世の中全体が先を見通せず不安定になっているのです。だから、既存の体制に安心して乗っかっているだけでなく、自分で自分の生き方を考えなければならない時代になったのだと思います。

 ただそのとき、私の場合は、学問を追究することで、ニヒリズム的な、確固たる正しいものなんて存在しないというような考えに至っていたので、自分の強みであるはずの理性の力で、正しい生き方を導き出すことができませんでした。他にも合気道をやっていたため、武道・戦いという価値基準もありましたが、それもただそのとき勝った負けたということに過ぎないと感じ、負けの多い自分では、そこに楽しさを見い出すことはできないと思いました。その状況下において、国家公務員になるという目標が自分の中で崩れたとき、本当に何のために生きているのかがわからなくなりました。だからこそ俗世を超越した視点を求めました。結果的に私は、霊能者の方から魂という観点からの助言をいただき、人間は生きているから生きるしかないのだと納得し、これからまた頑張って生きていこうという勇気を出せました。

 

これで3つの理由は以上となりますが、最後にひとこと加えておきたいと思います。確かにスピリチュアルは使い方が難しく、下手すると占い依存症のようにどうしようもないことになってしまうということです。私のように人生が行き詰ってしまった人は、やはりどこか間違った方向性でやってしまっているわけなので、スピリチュアルをやると、既存の自分を否定されたり、望んでいることとは違うことをやるように言われたりします。しかし、それを完全に信頼して頼りきり、これまでの自分を見失ってしまっても上手くは行きません。程よいバランスの中で新たな自分を見つけていく必要があり、大変な試行錯誤がいりました。

 

3つの理由については以上、となります。

貴重な内定をいただくことができ、現在は大変ほっとしたところです。しかし、内定先がベンチャーであることなどから、親が猛反対をしており、これからも辛い日々が続きそうでもあります。

何はともあれ、応援してくださった方々には大変感謝しております。

 

長文失礼しました。

ある東大生の進路選択

就活を始めるに至った私のこれまでの経緯を書こうと思います。

 

民間企業に初めて興味を持ったのは、大学2年生の冬でした。2年生の夏にアメリカに2週間の留学体験プログラムに行き、そこで4年生の就活が終わった先輩方と関わる機会があったのがきっかけでした。大変優秀で素敵な方ばかりで、いろいろと刺激を受け、もっと自分の世界を広げてみたくなりました。それで教育系の企業のONEDAYインターンに参加してみました。今まではあまり民間企業に良いイメージをもっていなかったのですが、そこで民間もすごい良いこと面白いことをやっているのだとわかり、印象が変わりました。

同時にもともと国家公務員志望だったので、警察庁の短期インターンシップにも参加しました。グループディスカッションを通じて政策を考えるという内容だったため、グループのメンバーと仲良くなることができ、その後も何度か交流するようになりました。国家公務員志望の人間とは気が合うと感じ、やはり国家公務員が自分に合っていると思いました。

3年生の6月あたりから、夏季インターンシップの募集が始まり、就職組の早い人は就活を始めます。私もそれに便乗し、合説に参加して、インターンシップに応募しました。話を聞いて、コンサルに興味を持ち何社か応募しました。考え方が面白かったですし、自分の考えをしかっり持っていて、ものをはっきりいうところが素敵でした。しかし、後になってみると、周囲の東大生もみんなコンサルがいいなと言っており、結局キラキラに流されていたのだと思います。結論としては、コンサルは自分にはあっておらず、選考のWebテストやグループディスカッションで何社も落とされました。やっとのことで1社勝ち取ったインターンシップでも上手くやることができず、挫折を経験しました。また、たまたま合説のブースで声をかけてもらったITベンチャーインターンにも参加しました。しかしそれも、グループワークで全く会話に入れず失敗体験となりました。そこから、自分には民間は向いてないのだと思いました。話していて、ビジネスという枠組みにどうもついていけず、自分は国家公務員の頭で政策という枠で物を考えてるんだろうなと感じました。

そこから国家公務員になるため、試験勉強に打ち込みました。しかし、思うように勉強が進まず、能力も伸びませんでした。

モチベーションを上げるため、春には第一志望の文部科学省インターンシップに2週間参加しました。職場に混じって、組織の末端として仕事をするという形式で大変臨場感がありました。すごくしっくりきて、仕事にはやりがいがあり、そこが自分の居場所のように感じました。職場の方々には仕事が早いとか、優秀だとか、今までにないくらい評価してもらえて嬉しかったです。それを通じて、将来は文部科学省官僚になって、教育制度から社会を変えていくのだと覚悟を決めました。そして必死に試験勉強をしました。しかし思うように伸びず、5月の試験に落ちてしまいました。

 

全力をかけてきた目標が砕け散り、このまま盲目に邁進していてもダメなのではないかと疑問を抱くようになりました。もっと人生を探求しようと思い、いろいろなことを始めました。まずは、法律の勉強が面白くなかったことが敗因だろうと思い、自分の興味と専門を生かして、人間科学という区分で国家公務員試験を受け直そうと考えました。そして、予備校を変えて、新たに勉強を始めました。

同時に、これまで勉強と部活ばかりやってきたので、何か人の役に立つことがしたいと思い、介護と障害児支援を行っている福祉系NPOでアルバイトをすることにしました。予備校の授業料のローンを組んだので、そのバイトで稼いで自力で払っていこうと決めました。

しばらくそれでやっていましたが、いろいろあって上手くいきませんでした。(この経緯はSNSには載せられません。)とりあえず、自分て勉強はできるけど、人の役に立ちたいと思ってもあまりできることないなと感じてしまいました。

この時期には、併願と試験の練習を兼ねて、地方公務員もいくつか受験しました。それも上手くいきませんでした。試験は上位で合格しながら、二次選考の集団討論では最下位で落とされたこともありました。だだ、それでそこまで落ち込まないほど、大して地方公務員に魅力を感じていない自分にも気付きました。

 

紆余曲折あり、自分はこれまで、なんとなく人のためとか、社会のためになる仕事を選択したいと思ってきましたが、結局それが自分に向いてなかったのではないかと気付きました。これまで自分が人の役に立てるときは、基本的に役立とうと思って役だてるということはほとんどなく、自分が一生懸命前向きに頑張っていることで自然に周囲に良い影響を与えるというパターンが多かったのです。そのため、自分は、自分が成長することを目指すのが一番合っていて、ついでに出会った人に良い影響を与えていくというスタイルが向いているのだと悟りました。

また、9月には教養という区分の国家公務員試験があり、私はそれに向けても勉強をしていました。直前期には集中的に過去問演習を行い、本番に向けて気合を入れていました。しかし、集中して勉強したわりには手応えがなく、がっかりする気持ちが募りました。そこで、かつての東大入試の直前期を思い出しました。1回1回の演習に集中する度に成長や気づきがあり、すごくきつかったけれど同時に何より充実した時間でした。公務員試験勉強にはそういうやりがいが、東大入試に比べてだいぶ欠けているのだと気付きました。公務員試験は、単純処理や単純暗記が多くて、全然人を成長させてくれないぞ、という思いを抱きました。そんな試験に全力をかける価値はあるのかと考えました。いや、ないという考えに至り、そこで思い切って国家公務員への志を断ちました。

 

そして、新たに自分にやりがいを感じさせてくれることを見つけようと、民間就活を始めました。今まで民間は嫌だと思っていました。ビジネスとかよくわからないと思っていました。学問や政策は理解できるけどビジネスはカオスで意味不明だと、避けていました。でも、これまでやってきたことの中にやりがいを見出せるものがなくなってしまったので、それはもう諦めて、わけがわからなくても新しいことを始めようと決意しました。

民間は、会社がいっぱいありすぎて、それぞれで価値観とか求めてくるものとかが皆んな違って、これまで枠の中の比較的整った世界で生きてきた人間には、正直カオス以外のなにものでもありません。でも、福祉の世界と比べると、企業は利益を追求する分合理的に考え、取引社会のため言葉ではっきりと説明してくれるので、理解はしやすいのだと思いました。そして、就活エージェントの方々や人事の方々が、なんだかんだ一期一会で丁寧に接して下さり、その都度気づきが得られたので、この世界で頑張っていこうと思いました。

 

私は、やっぱり現段階だと、思考回路は国家公務員に近いし、客観的にみてもおとなしくてまじめで公務員らしい人間なのだと思います。でも、公務員を目指していて行き詰まり、その世界にも限界を感じ、そこに自分の道はないと感じました。だから、今は、自分に新たな世界を見せてくれて、新たな可能性を示してくれる、ビジネスの世界を志そうと思っています。そして学力を情報力に転化して、就職活動を頑張っていこうと思います。

 

長文失礼しました。

 

(そういうことなので、はてなブログもまだ使い方とかよくわからないのですが、とりあえずいろいろ調べながら、利用できるところを利用していこうかなと思います。)