就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

就職先決定のご報告をかねて… 〜私の就活に霊能者が必要だった3つの理由〜

お久しぶりです。

就職活動に進展があったのでご報告させていただきます。

先日、内定をいただき、就職先が決定いたしました。エージェントさんの仲介により、よいご縁に巡り合い、ITシステム系のベンチャーに内定をもらいました。

もともとの専攻とは全く関係のない分野でしたが、会社と社長さんと価値観が合ったため、面接を進むことができました。面接ではビジネスの知識よりも、これまで何を頑張ってきて、どういう人間になりたいかが重視されていたため、私のような不器用で見栄えが悪い人間でも受け入れていただけました。

 

就職活動をするにあたり、多くの方々から応援のメッセージやアドバイスをいただき、大変嬉しく勇気付けられました。ありがとうございました!!

 

ここで、就職活動が一旦落ち着いた機会に、私が就職活動において用いた「霊能者に相談する」という特殊な手段について、一筆書かせていただきたいと思います。

突拍子もない手段ではありますが、自分の中では大変まっとうな理屈のもとで成り立っているものであり、それがなければ、多くの方々から応援メッセージをいただいたり、魅力的な企業さんから内定をいただいたりすることはできませんでした。

 

よって、なぜ、私は東大生でありながら、就職活動に霊能者を必要としたのか、以下、その3つの理由を説明させていただきたいと思います。

 

①ITベンチャーという結論が、既存の自分の経験からは全く予測のできないものだったということ。

 これまで私は学校教育という枠の中で、ひたすら勉強で勝って上を目指すという道を選んで進んできました。そして、勉強ばかりに時間を投資することにより、コミュニケーションの時間も必然的に減り、一層自分には勉強しかないのだと思い込むようになりました。そんな自分にとっては、公務員が最も妥当な選択肢でしたし、当然のように親をはじめとする周囲もそう考えていました。しかし霊能者の方は、勉強しかできないと枠に閉じこもる方向ではなく、どんどん人と関わる方向を目指すようにとおっしゃいました。(実は、正確にいうと、おっしゃったのは、霊能者の方を介した、私の守護霊様なのですが…)それにより、私は既存の行動パターンにとらわれず、新たな方向を目指してチャレンジをし、思ってもみないような多くの出会いを得ることができました。

 

②挫折が重なって、誰の言葉も信じられなくなってしまったこと。疑心暗鬼になっていたこと。

 勉強を重ね、学問を深めることにより、この世に完璧に正しいものはなく、結局のところ、社会では権力者や勝者の言葉が正しいとされていると考えるようになりました。社会とは、ある価値基準の元に人々が集まったものであり、その中心となる人が正しいと主張することに従って動いている、そういうものだと思うのです。

また、周囲が優秀な人達ばかりであることで、正しいかとか、努力をしているかとか、人格者であるかなどは意外と関係なく、結局器用な人が勝っていくのだと感じるようになりました。というのも、東京大学ともなると、もはや努力をするのは当たり前で、生まれもった能力と運が大きく差をつけていくようになるからです。そこで私は、不器用な自分が、周囲の器用で優秀な人のいうことを聞いて同じように努力しても、同じように上手くはいかないのだと気が付きました。どんなに素晴らしい人でも、やはり自分の経験や立場に従ってアドバイスをするので、限界はあります。だから人間を超えた存在からの助言が必要だと考えたのです。

 

 ③生きる意味がわからなくなったこと。

 これは時代の影響が大きいと思います。高度経済成長の時代は、ひたすら頑張って生産していれば、それに伴って成果が出て、わりと努力が報われていく時代だったと言われています。しかし現代ではグローバル化や情報化が進展し、これまでとは社会のあり方が大きく変化しており、それにより人々の生き方も変化しています。そして、既存のルールがだんだん通用しなくなってきて、世の中全体が先を見通せず不安定になっているのです。だから、既存の体制に安心して乗っかっているだけでなく、自分で自分の生き方を考えなければならない時代になったのだと思います。

 ただそのとき、私の場合は、学問を追究することで、ニヒリズム的な、確固たる正しいものなんて存在しないというような考えに至っていたので、自分の強みであるはずの理性の力で、正しい生き方を導き出すことができませんでした。他にも合気道をやっていたため、武道・戦いという価値基準もありましたが、それもただそのとき勝った負けたということに過ぎないと感じ、負けの多い自分では、そこに楽しさを見い出すことはできないと思いました。その状況下において、国家公務員になるという目標が自分の中で崩れたとき、本当に何のために生きているのかがわからなくなりました。だからこそ俗世を超越した視点を求めました。結果的に私は、霊能者の方から魂という観点からの助言をいただき、人間は生きているから生きるしかないのだと納得し、これからまた頑張って生きていこうという勇気を出せました。

 

これで3つの理由は以上となりますが、最後にひとこと加えておきたいと思います。確かにスピリチュアルは使い方が難しく、下手すると占い依存症のようにどうしようもないことになってしまうということです。私のように人生が行き詰ってしまった人は、やはりどこか間違った方向性でやってしまっているわけなので、スピリチュアルをやると、既存の自分を否定されたり、望んでいることとは違うことをやるように言われたりします。しかし、それを完全に信頼して頼りきり、これまでの自分を見失ってしまっても上手くは行きません。程よいバランスの中で新たな自分を見つけていく必要があり、大変な試行錯誤がいりました。

 

3つの理由については以上、となります。

貴重な内定をいただくことができ、現在は大変ほっとしたところです。しかし、内定先がベンチャーであることなどから、親が猛反対をしており、これからも辛い日々が続きそうでもあります。

何はともあれ、応援してくださった方々には大変感謝しております。

 

長文失礼しました。

ある東大生の進路選択

就活を始めるに至った私のこれまでの経緯を書こうと思います。

 

民間企業に初めて興味を持ったのは、大学2年生の冬でした。2年生の夏にアメリカに2週間の留学体験プログラムに行き、そこで4年生の就活が終わった先輩方と関わる機会があったのがきっかけでした。大変優秀で素敵な方ばかりで、いろいろと刺激を受け、もっと自分の世界を広げてみたくなりました。それで教育系の企業のONEDAYインターンに参加してみました。今まではあまり民間企業に良いイメージをもっていなかったのですが、そこで民間もすごい良いこと面白いことをやっているのだとわかり、印象が変わりました。

同時にもともと国家公務員志望だったので、警察庁の短期インターンシップにも参加しました。グループディスカッションを通じて政策を考えるという内容だったため、グループのメンバーと仲良くなることができ、その後も何度か交流するようになりました。国家公務員志望の人間とは気が合うと感じ、やはり国家公務員が自分に合っていると思いました。

3年生の6月あたりから、夏季インターンシップの募集が始まり、就職組の早い人は就活を始めます。私もそれに便乗し、合説に参加して、インターンシップに応募しました。話を聞いて、コンサルに興味を持ち何社か応募しました。考え方が面白かったですし、自分の考えをしかっり持っていて、ものをはっきりいうところが素敵でした。しかし、後になってみると、周囲の東大生もみんなコンサルがいいなと言っており、結局キラキラに流されていたのだと思います。結論としては、コンサルは自分にはあっておらず、選考のWebテストやグループディスカッションで何社も落とされました。やっとのことで1社勝ち取ったインターンシップでも上手くやることができず、挫折を経験しました。また、たまたま合説のブースで声をかけてもらったITベンチャーインターンにも参加しました。しかしそれも、グループワークで全く会話に入れず失敗体験となりました。そこから、自分には民間は向いてないのだと思いました。話していて、ビジネスという枠組みにどうもついていけず、自分は国家公務員の頭で政策という枠で物を考えてるんだろうなと感じました。

そこから国家公務員になるため、試験勉強に打ち込みました。しかし、思うように勉強が進まず、能力も伸びませんでした。

モチベーションを上げるため、春には第一志望の文部科学省インターンシップに2週間参加しました。職場に混じって、組織の末端として仕事をするという形式で大変臨場感がありました。すごくしっくりきて、仕事にはやりがいがあり、そこが自分の居場所のように感じました。職場の方々には仕事が早いとか、優秀だとか、今までにないくらい評価してもらえて嬉しかったです。それを通じて、将来は文部科学省官僚になって、教育制度から社会を変えていくのだと覚悟を決めました。そして必死に試験勉強をしました。しかし思うように伸びず、5月の試験に落ちてしまいました。

 

全力をかけてきた目標が砕け散り、このまま盲目に邁進していてもダメなのではないかと疑問を抱くようになりました。もっと人生を探求しようと思い、いろいろなことを始めました。まずは、法律の勉強が面白くなかったことが敗因だろうと思い、自分の興味と専門を生かして、人間科学という区分で国家公務員試験を受け直そうと考えました。そして、予備校を変えて、新たに勉強を始めました。

同時に、これまで勉強と部活ばかりやってきたので、何か人の役に立つことがしたいと思い、介護と障害児支援を行っている福祉系NPOでアルバイトをすることにしました。予備校の授業料のローンを組んだので、そのバイトで稼いで自力で払っていこうと決めました。

しばらくそれでやっていましたが、いろいろあって上手くいきませんでした。(この経緯はSNSには載せられません。)とりあえず、自分て勉強はできるけど、人の役に立ちたいと思ってもあまりできることないなと感じてしまいました。

この時期には、併願と試験の練習を兼ねて、地方公務員もいくつか受験しました。それも上手くいきませんでした。試験は上位で合格しながら、二次選考の集団討論では最下位で落とされたこともありました。だだ、それでそこまで落ち込まないほど、大して地方公務員に魅力を感じていない自分にも気付きました。

 

紆余曲折あり、自分はこれまで、なんとなく人のためとか、社会のためになる仕事を選択したいと思ってきましたが、結局それが自分に向いてなかったのではないかと気付きました。これまで自分が人の役に立てるときは、基本的に役立とうと思って役だてるということはほとんどなく、自分が一生懸命前向きに頑張っていることで自然に周囲に良い影響を与えるというパターンが多かったのです。そのため、自分は、自分が成長することを目指すのが一番合っていて、ついでに出会った人に良い影響を与えていくというスタイルが向いているのだと悟りました。

また、9月には教養という区分の国家公務員試験があり、私はそれに向けても勉強をしていました。直前期には集中的に過去問演習を行い、本番に向けて気合を入れていました。しかし、集中して勉強したわりには手応えがなく、がっかりする気持ちが募りました。そこで、かつての東大入試の直前期を思い出しました。1回1回の演習に集中する度に成長や気づきがあり、すごくきつかったけれど同時に何より充実した時間でした。公務員試験勉強にはそういうやりがいが、東大入試に比べてだいぶ欠けているのだと気付きました。公務員試験は、単純処理や単純暗記が多くて、全然人を成長させてくれないぞ、という思いを抱きました。そんな試験に全力をかける価値はあるのかと考えました。いや、ないという考えに至り、そこで思い切って国家公務員への志を断ちました。

 

そして、新たに自分にやりがいを感じさせてくれることを見つけようと、民間就活を始めました。今まで民間は嫌だと思っていました。ビジネスとかよくわからないと思っていました。学問や政策は理解できるけどビジネスはカオスで意味不明だと、避けていました。でも、これまでやってきたことの中にやりがいを見出せるものがなくなってしまったので、それはもう諦めて、わけがわからなくても新しいことを始めようと決意しました。

民間は、会社がいっぱいありすぎて、それぞれで価値観とか求めてくるものとかが皆んな違って、これまで枠の中の比較的整った世界で生きてきた人間には、正直カオス以外のなにものでもありません。でも、福祉の世界と比べると、企業は利益を追求する分合理的に考え、取引社会のため言葉ではっきりと説明してくれるので、理解はしやすいのだと思いました。そして、就活エージェントの方々や人事の方々が、なんだかんだ一期一会で丁寧に接して下さり、その都度気づきが得られたので、この世界で頑張っていこうと思いました。

 

私は、やっぱり現段階だと、思考回路は国家公務員に近いし、客観的にみてもおとなしくてまじめで公務員らしい人間なのだと思います。でも、公務員を目指していて行き詰まり、その世界にも限界を感じ、そこに自分の道はないと感じました。だから、今は、自分に新たな世界を見せてくれて、新たな可能性を示してくれる、ビジネスの世界を志そうと思っています。そして学力を情報力に転化して、就職活動を頑張っていこうと思います。

 

長文失礼しました。

 

(そういうことなので、はてなブログもまだ使い方とかよくわからないのですが、とりあえずいろいろ調べながら、利用できるところを利用していこうかなと思います。)

真面目なエリートが挫折することについて

 真面目なエリートが挫折をするということについて、しばらく考えてきて思うのは、「真面目」だからこそ挫折して辛い思いをするのではないかということです。

 

そもそも「真面目」とはなんでしょうか。私はここしばらく、「真面目」とは組織や体制の価値観に傾倒することではないかと思っています。本来の意味の真面目はそうではないかもしれませんが、どうしても社会において真面目であるということはそういう方向性を持ってしまいます。

よって真面目な人は、組織や体制など、自分を取り巻く環境の価値基準に従って一生懸命頑張るわけです。

 

しかし、社会とは、その性質からして、真面目な人が報われるようにはできていません。社会では、本当に真面目であろうがなかろうが、その集団の価値基準と合致した人が成長し、支配的な地位について、そしてその価値基準で社会を運営します。社会学における「再生産」の理論です。勉強のできる人が学校で良い成績をとり、東大まで進み、官僚になって社会のルールを決めるというようなことです。それと同じことがすべての人間集団で行われています。

頑張ってその中で戦っていけばどうにかなる…という面もあるにはありますが、しかし東京大学に入って、世の中は本当に不平等なのだとわかりました。庶民あがりの自分とは違いもともと家がお金持ちな人、一浪してやっと東大に入った自分とは違いすんなり現役合格してしまう人、勉強だけではなくもとの人柄により自然と人を惹きつけてしまう人、など最初から持っているものが違うのだと実感させられました。

 

そういう人達が作っている社会で、その人達が決めた基準に沿って戦っても、当然負けます。

だから、「真面目」に頑張って勝てるのはもともと組織や体制と合致した資源や能力を持ってる人だけで、そうでない人はむしろ律儀に「真面目」に頑張ってしまうと、負けて社会の敗者になってしまうのです。

 

社会の中でまっとうに適応して努力することで、それなりに力はつきました。私は進学校に入って、浪人時代は東大専門の予備校に通って、そして東大に入って、部活もずっと厳しい部活でやってきて、常に優秀で意欲の高い人達に囲まれて王道ルートできました。競争社会の中で周囲にもまれにもまれてすごく力がつきました。しかし、途中で限界が来てしまって、それ以上進めなくなりました。

実は挫折する前は、厳しいからって途中で部活やめちゃって、それで他のこと楽しくやっている人が、私にはなんだかずるく見えてました。根性ないなと思いながらも、なんか楽しそうだなと羨ましく思っていました。そしてむしろ上手くいってるのってそういう人だったりして、とにかくずるいなと思ってました。

でも、実際問題として、成功する人って、そういう風に上手く自分に合う環境に乗り換えられた人か、もともと体制の求めるものと自分の持って生まれた能力が運良く合致していて、真面目にまっとうに頑張れば頑張るほど報われていく人のどちらかなのだと思います。世の中は本当に理不尽です。

 

でも世の中が理不尽でも、死なない限り一生懸命生きてくしかありません。

とりあえず、今は、人間、やっぱり自分の土俵で戦わないとダメなんじゃないかな、ということを考えています。

ただ、完全に違う方向に土俵を変えても全然だめだったので、土俵を少しズラすということが良いのではないかと模索しています…。