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就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本   <第3回>鎌田浩毅『成功術 時間の戦略』

 いつも読んでくださる方々、大変ありがとうございます!

 筆者は4月から働き始め、あくせくと新しい環境に適応している最中です。少しペースが落ちることもあると思いますが、これからも継続的に更新していきたいです!

 

 今回は再びおすすめ本のコーナーにしようと思います。


 第3回は、鎌田浩毅さんの『成功術 時間の戦略』を扱います。この本は、時間の使い方に対する戦略を書いた本です。  

 

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 4月になり、内定先の会社で働き始め、そういえばだいぶ前にこんな本を読んだなと思い出しました。
 環境が変わって、大学時代とはまた時間の感覚がかわり、改めて時間について思いを馳せました。また、社長から時間の使い方についてのお話があり、私にとってまさにタイムリーな本です。

 

 この1冊は、時間をうまく使うことが苦手であったり、つい予定がないとだらだら過ごしてしまうという方、オンオフの切り替えが苦手という方などに読んでいただきたいです。また、これから成功を掴み取っていきたい方におすすめです。

 

 著者の鎌田さんは、東京大学理学部を卒業し、通産省地質調査所主任研究官等をへて現在京都大学の教授をされている方です。面白い講義が学生に人気で、テレビにも出演されています。

 

 では、私がこの本の中で特に印象に残った、第1章と第9章を中心に紹介していきたいと思います。


 第1章では、「活きた時間」と「死んだ時間」について扱われています。

 

 鎌田さんは、時間について、以下のように書かれています。

「誰にも1日24時間が与えられているが、その使い方によって、人生は千差万別に違ってくる。」
「私たちは自分の持ち時間について、もっとよく考え抜く必要がある。…(中略)…誰にも平等に与えられている時間を、どのように費やすべきだろうか?活きた時間として過ごすか、死んだ時間にしてしまうかでは、決定的な差が生まれてしまう。」

 

 そして、「活きた時間」とは例えば、わかりやすいものだと、時間が経つのを忘れるほど、夢中になって小説を読んだり、汗を流しながらスポーツに熱中しているような時間だと述べています。
 また、活きた時間とは、「現在過ごしている時間が、未来の創造へ向けて活かされているような時間」だと定義しています。

 

 逆に、「死んだ時間」とは、惰性でだらだらと過ごしてしまうような時間のことです。例としては、だらだらと意味のない作業を続けたり、面白くないのに飲み会にでたりする時間をあげています。

 

 鎌田さんは、このような「生きる密度によって感じ方の異なるような時の流れ」について問題意識を持っているのです。

 そして、いかに死んだ時間を排して、活きた時間を多く過ごすかが大切だと主張されています。


 この本がきっかけだったかどうかはあまり覚えていませんが、私は常に有意義な充実した時間を過ごすことにすごくこだわりを持ってきました。
 特に高校3年生のとき、東京大学に一度落ちて挫折し、心を入れ替えて以来、どの1日たりとも無駄な日は過ごしてきていないという自負があります。(ときにそれが無駄なプライドとなってしまいますが笑)

 

 それが良いことなのかどうか、正直なところよくわかりません。私は、逆にのんびりと平凡で平和な毎日を過ごすことができなくなってしまい、退屈な日が続くと本当に死にたいような気持ちになってしまいます。それも問題ですよね。

 そして、充実した、常に成長できていると感じられる時間を過ごすことにこだわったら、なんだかものすごく濃くて、大変で…なんとも猛烈な企業で働くことになってしまいました(笑)。

 

 ですから、当然、全ての時間を有意義に過ごすことを、全ての人がやる必要は全くないと思っています。私はそれぞれどんな人生が送りたいかって、好みの問題が大きいと考えているので。

 でも、毎日が同じことの繰り返しであるような色あせた毎日に、少しでも疑問があるならば、「活きた時間」を過ごすことを意識してみると、1日1日が全部違う、ときに新鮮な感動が得られる日々が送れるかもしれません。

 

 

 次に、第9章ではオフの時間について扱っています。

 鎌田さんは、オフを「仕事をしているのがオンとすれば、スイッチを切った
状態」であると定義して、戦略的なオフの時間をとることをすすめています。

 

「よい仕事を成し遂げるためには、頭をフルに使わなければならない。しかし、そのためには合間に効果的な休みを入れる工夫も必要だ。」

 


 著者はオフの種類を3つにわけて紹介していますが、ここでは割愛させていただきます。

 結論としては、「仕事に熱心な人ほど、仕事から離れるのに困難をともなう。仕事中毒から抜けるのには技術がいる。努力して強制的にスイッチオフの状態に持ち込む必要があるのだ。」と、仕事に一生懸命になる人ほど、努力して意図的にオフの状態を作ることが重要だと指摘しています。

 

 みなさんは、東大生というと、ガリ勉のようなイメージもお持ちかと思います。しかし、実は東大生にはオンとオフの切り替えが上手くて、むしろ趣味が充実している方が沢山いるんです。

 集中するときは集中して、リラックスして楽しむときは楽しむ、いうことです。

 

 実は、オフに関して、私は過去にすごく大きな失敗をしています。高校時代、東京大学を目指した受験勉強と、互いに切磋琢磨する厳しい運動部活動と、両方に力を入れて過ごしており、どちらも成功させたいがために趣味などに費やす時間を全て削っていました。

 はじめはそれで時間が増えた分、伸びたような気がしましたが、しばらくすると成果は頭打ちになり、最後には心身ともに余裕がなくなって、怪我、人間関係の歪み、不眠症、勉強に集中できない…と、がらがらと崩れることになりました。


 そこで反省し、毎日リラックスする時間を決めてオフを取るようにして、ペースを取り戻すことができたのです。

 

 世間では、とにかく量をこなした方がよい、休まず働くことが素晴らしい、というような価値観がありますが、継続的に結果を出して成長していくには、メリハリということが大切なように感じます。

 

 就職して働き始め、忙しい毎日なので、私もしっかりとリラックスする時間をもうけて、以前のように潰れてしまうことのないように頑張りたいです!

 

 以上、1章と9章について紹介してきましたが、この本には他にもいろいろと人生の時間の使い方に関する戦略が書かれています。

 私がこの本を読んだのは、ずいぶん前のことになるので、ああ、戦略とか立てても人生思い通りにならないものだと、今は思っています。

 でも、もっとこうなりたい、こうしたいという気持ちで、自分が生きている時間を有意義に使おう、そして充実した後悔のない人生を送ろう、そういうことって誰にとっても大事なことである気がします。

 

参考URL:

www.amazon.co.jp

東京大学卒業式 〜人生のレールを乗り換えていくにあたって

  東京大学を3月24日に卒業致しました!

  その後海外旅行に行っていたため、更新とコメントへの返信が遅れている次第です

^^);

 今回は、前半に東京大学の卒業時にやるべきこと、卒業式の状況などについてまとめ、後半に、大学を卒業するにあたって考えたこと、感じたことなどを書いていきたいと思います。

 

 なので、東京大学の卒業式について知りたい方は前半を、いつものような文章を気に入って下さっている方は、後半から読んでいただければと思います!

 

東京大学卒業式の手順や注意事項についてー

 卒業式当日の流れに沿って、東京大学卒業時にやるべきことや注意点についてまとめたいと思います。

 

 というのは、自分が卒業式にあたって、気になった疑問点を検索しても、意外とネット上に情報を見つけられなかったので、こういうのがあったらよいなということで作ってみました!

 

  1. 当日の服装

・女性は袴、男性はスーツの上にアカデミックガウンが多いです。

女性で袴の上からガウンの方もいましたし、私などは振り袖を着るのが嫌なので、女子なのにスーツとガウンでした!

 

ガウンを着るタイミングは?電車の中でアカデミックガウン着ていたらおかしくないかな?個人的には気になりましたが、調べてもあまり分からなかったので困りました…(^.^);

袴を着る人は、本郷三丁目付近のどこかで着替えていた方が多いみたいです。ガウンは持っていって学内で着る人もいたようでしたが、私は家で着て、上からコートを羽織って電車に乗りました。

 

  1. 安田講堂での卒業式

安田講堂講堂周辺は、当日すごく混雑し、講堂に入るまで並びます。

卒業生が安田講堂に入りきらず、あぶれた人が御殿下でパブリックビューイングをするはめになると、メディアで騒がれていますよね。講堂に入りたいのならば時間に余裕を持って行く方がよいです。

・では、並ぶ時間はどれくらいなのか、何分前に着けば入れるのか?自分にとっては1番欲しい情報でしたが、これもネットで見つかりませんでした。

結論としては、私は30分前に並びはじめ、1階に座れました!

ただ、赤門前や講堂前で写真を撮ったりして意外と予定より多く時間がかかったので、できるだけ余裕は持ったほうがよいです。

 

  1. 卒業アルバム受け取り、生協退会

キャンパス奥の第2生協食堂に行きます。

・3階にあがり、申し込みをしていた卒業アルバムを受け取れました。

とにかくかさばって重いので、事前に受け取れる方はそのほうがよいです。

・1階では、大学生協の退会手続きをしました。

退会すると、出資金が返還され、1万6千円も受け取れました!これは嬉しいですね。

 

  1. 学位授与式

・卒業式の後は、各学科に分かれて学位授与式が行われます。学位記をひとりひとり前でもらいました。

・このときに、学生証を返還する必要があります。

・卒業証明書と成績証明書は貰えるので、気にしなくても大丈夫でした。

 

  1. 謝恩会

・あとは、学科などで行う謝恩会です。ここも服装が気になるところですね。

女性は袴のままの方も多いですが、長く着ていると疲れるので、ドレスに着替えてから出る方が多いです。男性はほぼスーツです。

 

 以上、大雑把ですが、どなたか私のように困っている方の参考になれば嬉しいですね。

 

—大学卒業に際して:人生のレールを乗り換えていくにあたってー

 後半は、東京大学卒業を控えたここ1ヶ月程で考えてきたこと、感じたことについて書いていきたいと思います。

 

 まず、いざ卒業するとなったときに思うのは、自分はやっぱり東京大学が大好きなんだなということです。

 

 テレビなどで、恋愛をしてこなかった東大生を笑いの種にする番組がありますが、私は、いってみれば東京大学にずっと恋をしていたのだと思います。

 人としてそれはおかしいという意見もあると思いますが、自分にとっては、それで充分、恋愛の要素が足りていました。

 高校入学当初から、目標として東大のことをずっと考えてきました。また、受験が近ずくにつれ、朝から晩まで東大のことを考えるようになりました。

 その目標があれば自分は強くいることができましたし、毎日が満ち足りていました。

 一浪して合格したときには、幸せがひたひたと、全身を満たしていきました。生きていてよかったと実感できました。

 そして、入学後には東大は人生が変わるような成長をたくさんさせてくれましたし、常識とずれている自分でも心を通わせられる出会いと仲間をたくさんくれました。最後には、学外での素晴らしい出会いとも繋っていきました。

 

 だから、私は東京大学が、本当に本当に大好きなんです。

 

 

 しかし、同時に4年間をそこで過ごし、挫折も沢山経験すると、嫌なところもたくさん見えてきます。

 

 古くからの伝統をもつ、アカデミックな世界。それは同時に視野の偏った融通の利かない世界でもあります。学問をして、全部を知った気になっても、それは古くてしがらみの多い、学問的な枠の中とその延長線上だけで、見たり考えたりしているにすぎないのです。

 だから、理屈が現実社会から離れて、何の役にもたたなくなってしまうことも多くあります。

 

 誰もが認める、世界的な大学。それは同時に、ブランドや権威に人が集まり、そういうものばかりに評価が行く世界でもあります。

 最近世間では、起業起業と騒がれていますが、周囲はやはり国家公務員や有名大企業への就職が圧倒的に主流です。それか、あとは言わずもがなの研究者ですね。(ちなみに研究者については、これはこれで、修羅の道ですが…。)

 

 そういうところには、本当に優秀な人が入っていきますし、よい仕事をしているところもたくさんあります。

 でも、就職に際して、そこが本当によい仕事をしているのか、社会に貢献できているのか、自分の志と一致しているのか、そういうことを考えている人は本当にひと握りであるように思えます。

 みんな、周囲に流されて何となく就活して、ブランドを基準に企業を選んで。内定を獲得したら、やれゴールドマンサックスだのマッキンゼーだのとひけらかしてよい気分に浸る。そういうところに内定した友人がいることで、自分もよい気分になる。就活生に関しては、そういう風潮が否めません。

 

 本当に社会を自分がよくしてやるとか、なにか偉大なことを成し遂げてやろうとか、そういうことが優秀なわりに前面に出ていかなくて、安定した生活が送れればそれでよいのだと、そこで満足してしまう傾向が目立つ気がします。

 本当に優秀な人ばかりだし、みんな努力家だし、意識が高い人も多いし、でもなんだかんだ枠の中に収まってしまって、本当に新しい可能性を開いていくような人は限られてくる。そのような現実があるように思えます。

 

 でも、それは東大生だから悪いとか、そういうことでは全くないと感じます。みんなひとりひとり自分なりに人生頑張って生きていて、本当に尊敬できる人達ばかりです。 でも、社会は所詮人間の集まりで、人間には完璧な人なんて存在しなくて、集団心理でみんな何となく生きていてそういう風になっている、ただそれだけのことなんだと感じます。

 

 そして自分はそんな社会の枠の中に上手く居場所を見つけられませんでした。そしてそういう現実にここ半年くらいで気づいていって、無理して合わせることに魅力も感じられなくなり、結果的に新しい方向に進んでいくことになりました。

 

 

 それにより、これまでとは目指してきたものも、価値観も、徐々に変わっていきました。意図せずして、目指すものが変わったことで、付き合う人までも変わっていきました。

 

 自分がこれまで絶対的に信じてきたこと、強く思い込んで身を捧げてきたこと、そういう事柄と離れていくことになりました。

 そして、これまで尊敬して大好きだった人達との付き合いもどんどん減っていくことになりました。その人達を尊敬する気持ちに全く変わりはないのですが、ずっと一緒にいても自分のさらなる可能性は見出せないとわかっているから、離れていくしかありませんでした。それが無性に寂しくて悲しく感じます。

 

 でも、寂しいからといって、そこでもう成長していけないのなら、新しい世界に進んで自分なりの可能性を切り開いていかなければなりません。

 それが、人生の「レールを乗り換えていく」という事なんだと思います。

 それは、既存の価値観に捕らわれて、身動きが取れなくなり埋もれてしまうよりも、ずっと大事な選択だと考えます。

 

 そして、寂しくても、名実共に、大好きな東京大学を卒業していかなければならないのだと思います。

 

 

 いよいよ、4月から新しい生活がスタートします。

 ビジネスも、ベンチャーも、ITもエンジニアリングも、自分がこれまで勉強してきたこと、自分が仕事として携わっていきたいと強く執着してきたこととも全く違う世界です。

 

 でも、ここからようやく周囲と同じように、エリートコースを走るのではなく、オンリーワンの自分の人生を生きていけるのだと思うと、すごくわくわくした気持ちが湧いてきます。

 

 これから、ひとつひとつ困難を乗り越え、社会人として自立した、新たな自分になっていきたいです!!

コミュ障東大生の最強処世術 —人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略−[1]

[1]コミュニケーションに対する認識を変える

 『コミュ障東大生の最強処世術』第1回では、「コミュニケーションに対する認識を変える」というテーマで、

  • コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である
  • コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

という、自分独自の視点について詳しく書きたいと思います。

 

 まず、導入として、私がなぜその姿勢をとるに至ったのか、軽く触れていきたいと思います。

 私は、高校時代、しっかりと友人をたくさん作って、集団に適応していきたいと考えていました。中学のときに孤立しがちだったことを反省し、いわゆる高校デビューをしたいと思っていたのです。進学校に合格し、同じくらいの偏差値の人間が集まった場ならば、浮かずにうまく周囲に溶け込めると信じていました。そのため、高校では、自分から積極的に声をかけて友達を増やそうと行動しました。それまでは、一部の親しい人としか仲良くできなかったので、これをきっかけにクラスのどの人とも仲良くできるような人間に変わろうと努力しました。

 しかし、その努力は実りませんでした。自分から話しかけても、目立たない私から声をかけられて喜ぶ人は残念ながらあまりいませんでしたし、いろんな人と仲良くしようと八方美人になってしまい、結局親しい友人を作ることができませんでした。また、所属していた部活動では、積極的に行動したことで、逆に強い態度に出すぎてしまい、周囲との関係を悪化させることになりました。それがきっかけで、人と関わることがいやになり、抑鬱状態にまでなってしまいました。

 そのように過ごしていく中で、私は、「アスペルガー症候群」という、知的に遅れがなくても、コミュニケーション能力に生まれつき問題がある人達がいることを知りました。自分はひょっとしたらそれではないかと思い、ネットや本で調べたり、人から話を聞いたりするようになりました。それにより、自分がコミュニケーション能力に問題があるのは生まれつきだから、いくら人と同じように努力してもだめなのだということを悟りました。(実際は自分はアスペルガー症候群ではなく、「自閉症スペクトラム」というものだと後にわかりました。)

 しかし、自分にとっては、そこで、いったんふっきれてしまったことがその後、人との関わり方を大きく改善していくきっかけとなりました。いくら周囲をうらやんでも、絶対に自分は人と同じように過ごすことはできないのだから、自分独自のやり方で、人とは比較せずにやっていこう。できないことを嘆くのではなく、小さくてもいいから自分にできることをやっていこう。そう、切り替えて変わっていくことができるようになりました。

 

 このような経緯で、独自の前提に立って、人間関係の戦略を構築していくことになりました。この独自の視点について、以下で詳しく述べようと思います。

 

⑴コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である

  これは、コミュニケーションは、充実した豊かな人生を歩むための、また人生に勝つための道具であると、わりきってしまうという意味です。

 

 すなわち、コミュニケーション自体を目的とした生き方を捨てるというスタンスであるといえます。

 

 私は、上記の理由でコミュニケーション能力について諦め、他に生きがいを見出すことにしました。それは、目標を設定して、それを目指す努力に全力を傾けることでした。そして、コミュニケーションはその目標を達成するための道具なのだと、だから道具として最低限機能するように努力すればよいのだと、そういうふうなスタンスに変えました。

 私の場合それは、東京大学の合格を目指して努力を積み重ねることでした。東大を目指して勉強を積み重ねることを生きがいとして日々を過ごし、周囲の人間関係は、それをサポートしてくれる人との関わりを重視しました。また、それ以外については、集中して勉強することの妨げにならないように、そこそこ良好な関係を保つことを心がけました。

 

 それにより、以前のように、集団からあぶれないようにと周囲に合わせようとしたり、こいつ友達がいないのだと見下されないように上辺をとりつくろったり、そういう疲れることをしなくて済むようになり、精神的に安定して過ごせるようになりました。また、たとえ友達が少なくても、自分には東京大学という目標があるのだ、そう考えて勉強に集中することで、自分に自信を持って、充実した毎日を送れるようになりました。

 

 もちろん、この目標は、私がたまたま東京大学合格であっただけで、他の目標であってもいいわけですし、目標でなくて趣味やなにかでも、自分が生きがいを見出せるものであればなんでもよいのだと思います。

 

⑵コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

  これは、コミュニケーション能力がどうのこうのと悩んだり、嘆いたりする前に、自分自身がしっかりすることが第一だという意味です。

 

 これは同時に、他人を羨んだり、誰かがなんとかしてくれるのを期待したりするのではなく、とにかく自分が解決するんだという気概をもつということです。

 

 私の大学での専攻は教育学でしたが、私は教育分野に広く行き渡っている、「周囲のサポートがあることが大切」「いかに困っている子に気づいて悩みを聞いてあげるかが大事」というような考え方が、あまり好きではありません。

 

 本当に困って、悩んでいる時、鬱々悶々と悶え苦しんでいる時、必ず誰かそばに支えになってくれる人がいる・・・そうとは限らないじゃないですか!

 少なくとも私の場合は、本当に悩んでどん底にいるときは心を閉ざしてしまい、周囲に人が寄り付かなくなってしまいます。だから、いくら辛くても、都合よく助けてくれる人なんてあらわれません。自分でなんとかして立ち上がるしかないんです!!

 

 人に言われたからとかではなく、まず自分でなんとかしたい、変わりたい、もっとよくなりたいと切望し、自分自信で試行錯誤して進んでいく。

 コミュニケーションがどうのという前に、自分が人として変わっていくんだという自立心をもつ。そういうことこそが大切なのではないかと思います。

 

 学校教育という環境は、そういう自分が強くなっていくんだという気持ちを後押してくれるような姿勢が足りないと思います。「道徳」や「思いやり」が大事だと、口で言うのは簡単ですが、本当にそれで本人が成長できるのかというところが疑問です。自分にできることをやって、自分でなんとかしていくしかない、そういう気持ちを応援して背中を押してくれることこそが、人を育てる上では重要だと、私は思うのですが。

 

 とにもかくにも、私にかぎっては、自分ができるやり方で、自分の力で変わっていく、そういう姿勢をもつことがその後の成長につながりました。それにより、結果的に人としての魅力や周囲からの評価が上がり、よい出会いも増えていったような気がします。

 

  

 以上、コミュニケーションを道具と捉えて他に生きがいを見つけること、人に頼らず自分で成長していくこと、と2つの自分を中心に据えたあり方を主張してきました。しかし、これらのことは、決して人と関わることの重要性を否定しているわけではありません。

 

 むしろ、その逆です。

 

 不思議なことですが、一人でしっかり生きて行く姿勢になると、むしろ他者のありがたさをひしひしと実感するようになります。なぜなら、人はやっぱりひとりでは生きられないことがわかるからです。

 独立した一個人として相手と関わっていくからこそ、あの人って本当にすごいなと感じたり、ほんのちょっとの気遣いが身にしみたり、この出会いがあって本当によかったなと感動したり、そういうことがどんどん生まれてくるような気がします。

 

〜一応つけておく実践ガイド〜

  最後に、一応実践ガイド的なものをつけておきたいと思います!

 これは、単純に、自分が人の文章や本を読んでいて、行動に移せるようなわかりやすいまとめがあると嬉しいと感じるからです!つまりは、完全な自己満足です(笑)

 

・コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である

◇人に合わせたり、うわべをとりつくろったりすることに疲れていないでしょうか。もし、そうだとしたら、他に自分で取り組める生きがいを何か見つけることで、自分に自信を持って、落ち着た日々を過ごせると思います!

◇ささいな、人に好かれた、嫌われたなどの感情に動揺する毎日でしょうか。もしそうならば、その人間関係が自分にとって何の役立つのか、改めて考えなおし、本当に必要な関係をはっきりさせると良いかもしれません。

 

・コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

◇もし悩んでいることがあったとしたら、小さなことでよいので、人と比べるのではなく、自分にできることは何かを考えてみるのがよいと思います。

◇人の助けが必要だとしたら、誰かに頼るのではなく、自分が成長するのに必要なことをアドバイスしてもらったり、背中を押してもらったりするという気持ちで、主体的に関わっていくとよい結果を得られると思います。また、助けを求めるときには、そのようなしっかりと力になってくれる人を厳選することが大切だと思います。

 

 

今回は以上となります。

コメントはいつでも歓迎しております!

ありがとうございました!

 

 

 

コミュ障東大生の最強処世術 —人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略−[序]

 今回の投稿では、もうひとつだけ新企画を始めてみたいと思います。

 

 ここでは、ものすごく人と関わるのが苦手な私が、生きるために独自に培ってきたノウハウを公開したいと思います。

 

 最近、人と関わるのが苦手にもかかわらず、どんどん外に出て行って果敢に行動していることが、周囲に評価されてきているような気がします。

 そのことから、自分が必死に生きてきた中で培ってきた技術に対して、ニーズがあるのではないかと考えました。そこで、せっかくなのでブログで公開し、読んでくださった方のお役に立てたら、または元気の元になることができたら嬉しいなと思います。

 

 

 まずはじめに、当企画の文章は、一般的な人間関係に関する方法論に対し、以下の点で独自の視点に立ったものです。

  • コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である
  • コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

 

 当前提のもと、全6章に分けて、人間関係の実践に役立つ考え方をまとめていきたいと思います。変更の可能性はありますが、現段階では以下のような章立てにするつもりです。

 

[1]コミュニケーションに対する認識を変える

[2]フレームワークの転換

[3]戦うことを覚える

[4]一期一会のメンタル

[5]マーケティングの重要性

[6]コミュ障を強みに変える

 

 当構成は、私が人生の中で試行錯誤を繰り返してきた流れに基づいたものとなっています。

 

 高校から進学校に入り、厳しい競争社会にうまく適応できず、抑鬱状態にまで陥ることがありました。持ち前の根性で、学校を休むことはありませんでしたが、挫折を重ねる中で、人と同じようにやっても自分はダメなのだと気付き、認識を変えて独自の方法論のもとに技術を蓄積し始めました。その内容を主に[1][2]にまとめようと思います。

 大学に入ってからは、合気道部に入り、そこで人に揉まれに揉まれながら、武道の考え方を応用しつつ、上手くいくやり方を探りました。そこで掴んだことを[3][4]でまとめようと思います。

 就活では、積み重ねた努力にもかかわらず、大変苦労することになりました。ドン底を経験しながら奮闘を重ね、なんとか新たな段階に進むことができたので、そこで得た気づきを[5][6]でまとめようと思います。

 

 この文章では、自分のようにコミュニケーションで悩み自信をなくしている人が、見方を変えて前に進んで行くきっかけとなってもらうこと、とくに、学校にうまく馴染めないようなタイプの人が、自信をつけるきっかけとなってもらうようなことを狙っていこうと思います。

 

  ”コミュニケーションは苦手だ。だからといってなんだというのか!”

  ”自分だって充実した人生を送りたいんだ!”

  ”コミュ障だということに臆せず、堂々と生きてやるぞ!”

  

そんな心の叫びに正直に生きていけるとよいと思います☆

 

 

  4月から働き始めて、更新が続けられるかはわかりませんが、とりあえず今は時間があるので、書くぞと宣言して始めてしまおうと思います!

 また社会に出れば見方もいろいろ変わってくると思うので、基本的に私が学校という環境の中で培った考え方として、「コミュ障東大生の最強処世術」のタイトルで書いていくつもりです。もう卒業して東大生ではなくなるわけですが

(^^;

 1章は次回、2章以降はその他の書きたいことと交互に出していく感じで、続けていきたいと思います。

 スローペースではありますが、よろしくお願いいたします!

 

 

 

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本  <第2回> 『占いのトリセツ』

 こんにちは。卒業までまだ時間があるので、なにか新しいことを始めたいなと思いつつ、あまり良い出会いが得られずに煮詰まっているこの頃です(泣)

 そのため、自分で唯一コツコツ進められる読み書きに勤しんでおります(^^;

 

  今回第2回は、占いについての本を扱いたいと思います。賛否両論あるかと思いますが、この本のテーマである「占いを使う」という観点にフォーカスして紹介したいと思います。

 

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  今回扱う本の題名は、『幸運を導く 占いのトリセツ』です。「トリセツ」とは「取扱説明書」の略であり、その名のとおり、占いを人生をよりよくするためのツールとして、どう使っていくのがよいかということが書いてあります。

 

 この1冊は、占いを使って幸運をつかみとりたい方、占いという不思議な世界に興味がある方、なんでもよいから人生に勝ちたい方などには特におすすめしたいですし、逆に占いなんて信じないという方、科学と聞いたらなんでも信じてしまう方(笑)などにも読んでいただきたいです!

 

 著者は占星術研究家のクーア(Cooa)さんで、私のお世話になった新宿「癒しと占いのお店メグーア」をはじめとした占い館を経営する経営者であり、映画のタロットアドバイザーなども務めて活躍されている方です。最近ではLineのトーク占いでも鑑定をされているようです。

 

 

 まず、気になったのが、著者が占いに興味をもったきっかけが、自分と似ていたことでした。

 

 クーアさんが占いと出会ったのは、アメリカロサンゼルスで映画の専門学校に通い、役者を目指していたときでした。そのとき彼女は、外国人というハンディを背負いながらがむしゃらに頑張り、なかなかうまくいかない状況に悩みながら、どうしたらオーディションにうまく合格できるかを模索されていました。

 クーアさんはその時感じたことをこのように書いています。

「アメリカにいると、日本ではなかなか出会えないようなポテンシャルの高い人達との出会いがあります。この人達はみなキラキラしたオーラを持ち、有能で性格もよく運もあり、ビバリーヒルズで高級車を乗り回し、高級住宅街の豪邸に住み、欲しいものは全て手にしていました。…(中略)…しかし、同じ人間なのにこの人達と私はいったい何が違うのか、どんな考え方をして、なにが見えているのか。この人達みたいになるためには自分をいったいどう変えていけばいいのか、いつも探求していました。」

 

 同じ人間なのに、なぜあの人達はあんなにキラキラしていて、自分とこんなにも違うのか・・・。なにがなんでも、自分を変えて、ああいうふうになっていきたい・・・。そんな切望する気持ちに私はすごく共感しました。

 

 なんだかんだ、人間、どうしようもない格差に対して憤って、それを超えてやりたいというときがあると思うのです。そういう気持ちに対して、もっと正直でいても良いのではないかと感じました!

 

 

 そして、次に、突筆すべきところは、なんといっても本書のチャプター1「占いを知る」に書かれている内容です。

 

 クーアさんは、占いは、「当たるか、当たらないか」ということは大して重要ではなく、「占いの結果から何を感じたのか」という方が大切だと述べています。

 

 占いでポジティブな結果が出たらよかった、と安心する。しかし少し経つと本当に当たっているのかと不安になる。このような、結果によって不安が大きくなってしまったり、依存して一喜一憂心が揺れ動いてしまっている状態は、占いを有効に使えていないのだと指摘しています。

 逆に占いは、「天気予報を見るような感覚」で、「運勢を読むツール」として使いこなせれば有効だというのです。例えば、「なにかやりたいことがあって、早くすすめようとしてもなかなかスムーズにいかないとか、邪魔ばかり入るときは、ムリにすすめようと思っても今はタイミングではないんだな。ととらえるようにしています。」というふうに述べていますが、今は向かい風が吹いている、だから無理に進もうとせずおとなしくしていよう、というように使っていけばいいのだと思います。

 

 私は、このような捉え方が、占いに限らず、すべてにおいて重要だと考えます。世の多くの人は、占いを参考にしたといえば、そんなものを信じて大丈夫かと批判しますが、科学を参考にしたとか、法律を参考にしたといえばむしろ賢いと賞賛するでしょう。でも、これまで勉強してきて思うのは、所詮科学も法律も人がつくったもので、全く頼り甲斐がある完璧さには程遠く、必ずどこかに限界があるのだということです。完璧なアプローチなんてこの世に存在しません。それなので、科学であろうが、法律であろうが、占いであろうが、その道具の性質を良く理解し、そして自分の人生のプラスになるように使いこなす、そんな主体的姿勢が何より大切なのではないかと思うのです。

 

 以上、ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本シリーズ第2回でした。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!!

参考URL:

https://www.amazon.co.jp/幸運を導く占いのトリセツ-Cooa/dp/4865703632/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1488776323&sr=8-1&keywords=占いのトリセツ

新企画:ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本<第1回>!!マックス・ウェーバー『職業としての学問』

こんにちは。

 みなさまお元気ですか。私は、諸事情により足首が腱鞘炎になってしまい、あまり外に出歩くことができません(笑)

 そこで、家で過ごす時間が増えたため、ブログの記事を増やすことにしました!

 これまでは、主に就職や人生など重いテーマを扱ってきましたが、それだけだとあまり更新が進まないので、新たに、読んだ本の感想を書くコーナーを始めてみようと思います!

 

 

 第1回は、マックス・ウェーバー著の「職業としての学問」を扱おうと思います!

 

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 すごく堅そう、と思われるかもしれませんが、毎回堅いのを取り上げるつもりはなく、他の回では禅とか、占いについてとか、全くジャンルの違う本も扱おうと思っています。でも、今回はもうすぐ大学卒業も控えているので、この本でいこうと思います!

 

 特に、学者になることを考えている方や学問の本質に興味があるかた、一流中の一流の学者がどういうことを考えているのかを知りたいかた、逆に学問なんて意味があるのかと疑問をもっているかた、そんな方々におすすめしたい1冊です。

 

 著者のマックス・ウェーバー先生は、言わずと知れた大社会学者・政治経済学者です。東大法学部の授業をとるとすごくよくとりあげられています。官僚制の研究や、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の論文が有名ですよね。

 そんな大学者先生が、学生に対して行った講演の内容をまとめたものが、この「職業としての学問」です。そのため、学生たちに向けて、職業として学問に取り組むことはどういうことなのか、またそもそも学問とはどういうものなのかについて語られています。東京大学を卒業し、これから学問を離れる私にとっては、凄く心にしみてくる内容でした。

 

 まず、印象に残ったのが、はじめに学問の外的条件について述べられているところでした。大学の制度について比較・検討し、学者として生きることについて客観的に評価をしています。なんだかんだ、研究が評価されて報われるか否かは、学問的に正しいかだけではなく、教授に気に入られるか、ポストが空くかなどの「運まかせ」となってしまう面があると指摘しています。そして、学生たちに向けて、「あなたは、凡才につぐ凡才が、毎年毎年、あなたをさしおいて昇進していく様を、憤慨もせず、悲嘆にもくれず、じっとみていられると心底思いますか?当然ながら、答えはいつも同じ。『もちろんです。わたしはただ自分の「天職」に従うのみです。』そうはいっても、わたしがみたところ、悲観的にならずにこういう状況に耐えられたのはほんのわずかにすぎません。」というふうに述べています。天狗になって、なんでもわかったつもりになっている人であれば、こんなことは言えないですよね。厳しい現実から目を背けずに進んできた、ウェーバー先生だからこそ言えることなのだと思いました!

 頭が良い学生に対して、研究者になればよいとはよくいわれることですが、実はその道は大変厳しく、だれもが成功して自分の好きな研究に熱中して過ごせるわけではないのです。それをわかっていてなお、博士課程の道に進む人は、やはり素敵だなと思うこの頃です。

 

  

 次に印象に残ったのが、学問・科学と宗教についての議論です。ウェーバー先生は、この本で、科学の宿命とはどういうものか、そして学問にできることできないことはそれぞれ何か、対して宗教や神学はどういうものかということについて述べています。しかし、ここではざっくりと、私の感じたことを書いてしまおうと思います。

 

 端的にいうと、学問は、人生をどう生きるべきか、日々どのように行動すべきかというような、人として切実に湧いてきてしまう疑問には、その本質からして答えてくれないものなのだとわかったということです。ウェーバー先生は、はっきりと、それを示すのは学問や科学の役割ではなく、宗教や指導者の役割だと述べています。哲学をし、社会を制度を研究すれば、必ずそこにおいて人がどのように考え行動しているのか、また本来の社会はどうあるべきなのか、などということを考え始めてしまいます。人と議論を交えれば、いったい何をもって正しいとするのか、考えざるを得なくなります。しかしその中で、科学や学問が説明できることとできないことがあるのだと、そして学問の役割はここまでなのだと、専門家として堂々と言いきってしまえるのはかっこいいなと思います。そして、そのおかげで、自分が感じていたもやもやはそういうことだったのかと、やっと腑に落ちることができました。

 

 確かに、科学は、学問は、技術として、また考える際の道具として、大変役に立ちます。でも、考えても考えても、やっぱり理屈だけでは説明しきれない部分が出てきてしまうものなのです。それをわかっていてなお、論理を極める道を選ぶのはすごいことだと思います。一方で、諦めて神やカリスマ指導者に尋ねることも実はしごく妥当な選択なのだと思います。私は、スピリチュアルの世界に尋ねることにしたわけですが、自分にとっては、理屈で説明しきれないところの解決がどうしても必要で、それがその道を選ぶことになった理由です。

 

 

 以上、「職業としての学問」の感想でした!

 もう少し軽い内容にするつもりでしたが、わりとがっつりとしたものになってしまいました(笑)第2回はもっと軽やかにいきたいです…。

 

※リンク:

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人に喜んでもらうということ

 前回の文章をお読みいただき、また宣伝にご協力くださり、大変ありがとうございました。

今回は、人に喜んでもらうということをテーマに文章を書きたいと思います。

 

 最近、ある人と、「論文を書くのと違って、テレビに出ると、テレビ局の人が喜んでくれる」という話をしました。

ここには、勉強が他者との関係よりも、自己満足中心のものであるということが端的に表れているように感じました。

勉強や学問は、自己が学ぶことや真理の探求が本質的なものであり、そもそも人に喜んでもらえるものではないのだと、最近わかってきました。

 

 もちろん、テストで良い点を取ることで周囲から評価されたり、研究を教授や社会から評価されたり、勉強を生徒に教えたり、上手くいくとそういう喜びを得ることもできます。私は、つらくても、テストで点をとることが自分の将来を開いていくと信じ、また教育政策に関する学問を追究し、良い論文を書くことが何らかの形で国の役に立つと信じ、勉強を続けてきました。でも、残念ながら、私は、いくら点をとっても、自分が正しいと信じることを論文で主張しても、頑張ったわりには周囲に受け入れてもらうことができませんでした。結局、勉強することは将来自分だけでなく社会のためにもなるのだと信じていても、信じていただけで自己満足の域を出ることができなかったのです。

 

 進路を転換して勉強から離れ、民間企業の世界に入ったことで、なんというか、自然な形の「人に喜んでもらって嬉しい」という感情を知ることができました。テレビに出たことで、ADさんが喜んでくれましたし、応援メッセージをくれた方がいました。それがなんだか嬉しかったです。会社のインターンで初めてプログラミングをして、アプリ(結構しょぼかったけれど)を作ったら、社長が喜んでくれました。あれ、こんなに喜んでくれるんだと嬉しかったです。ブログを書いたら楽しく読んでくれているというコメントをいただきました。もとは記述問題や論文で培った文章力だけれど、それで喜んでくれる人がいる。それがなんだか嬉しかったです。

 これまでの自己満足中心で過ごしてきて、むしろ周囲からは疎まれがちの人間だったので、そういう小さなこと、喜んでくれる人がいることが自分にとってはすごく新鮮で、嬉しいことでした。

 

 ただ、人に喜んでもらうこと自体を自分の目標にするのは、少なくとも自分には向いていないのも確かですが。学校では、人のためを思ってしたことが裏目に出てしまうことが何度もありましたし、社会で人に貢献するような仕事(福祉など)にチャレンジしてもほとんど自分にできることはありませんでしたから。結局、私という人間は、根本が頭がよいだけであまり空気の読めない人間なので、残念ながら向いていないこともあるのでしょう…。

 自分にできることは、ひたすら自分を磨いて向上する、人生に勝つことを追究する、そしてその途上で人に喜んでもらうということに尽きるのだと思い、ここはもう諦めて精進していこうと思います。

 

 最後に、前回の高島屋さんのプロモーション企画を経て感じたことをまとめたいと思います。

 結論から言うと、プロモーション自体は、本質が宣伝であるため、あまり喜んでもらえるものではなく、やっていてあまり楽しいと思うことができませんでした。むしろ、人から拒まれる恐怖との戦いとなってしまいました。

 しかし、実際にブログなどを通じて多くの方にリアクションしていただいたことで、自分にはこんなに応えてくれる人がいるのだと感じ、それがすごく嬉しかったです。

 また、他の新卒同期のメンバーに声をかけをして、高島屋さんの入口でお客様に登録してもらうイベントを行ったのですが、その企画を喜んでくれた人が多くいたことが嬉しかったです。

 

 おそらく、宣伝だけでは、勉強と同じようにただやったことに満足する、自己満足中心のものと変わらないのだ思います。

個人的には、それよりも、人が喜んでくれるようなもの(プログラムなども含めて)を何か作るということ、また集まってくれる人が喜んでくれるような企画を行うこと、そういうことを、これから社会に出てやりたいなと感じました。

 

 これまでどうり、自己満でひたすら自分を磨きつつも、これからは、人に喜んでもらうという小さな幸せを大切に、人生を歩んでいきたいなと思います。