就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本   <第4回>宮本武蔵『五輪書』

 少し更新が遅れてしまいました(^_^;)
 途切れと途切れの更新にもかかわらず、読んでくださっている方がいることに、いつも感謝しております!

 今回は、またおすすめ本コーナーにさせていただきます。
第4回は、鎌田茂雄さんの訳注と解説の入った、宮本武蔵の『五輪書』を扱います。

 本書『五輪書』は、皆さんご存知の剣豪宮本武蔵が、人生の最後に、自らの兵法の奥義を書物としてまとめたものだそうです。私は、原文に加え、鎌田茂雄さんの訳文や注、解説文などをつけて出版されたものを読みました。


   

 私が本書と出会ったのは、大学で合気道の稽古に励んでいるときでした。しかし、当時は、興味深く読んだのですが、なんか凄いなとか、先生方や先輩方が言っていることに近いなとか、それくらいしか感じとることができませんでした。 かなり奥が深いので、1回読んでそういうことか!、とわかる本ではないように感じます。当然、私などではよくわかりません。

 しかし、就職をして環境が変わり、そこで改めて読んでみて、これはこういうことではないかという気付きが出てきました。

 そのため、今回は本書について、私の経験を交えて書かせていただきます。



  以前読んだときには、この本で印象に残ったのは、「役に立たぬことをしない」「武蔵は理にかなったことしかしなかった」という指摘とか、「仏神を頼まず」「武蔵は仏神を尊敬したが、頼ることをしなかった」というような文章でした。本当に厳しい生き方をしていたんだなと感銘を受けた記憶があります。
  また、同時に、晩年には世を捨てて、詩歌、茶、書、彫刻などに没頭したという記述もあり、武蔵って剣で戦ってるイメージしかないのに、芸術的なこともやってたんだ、意外!と思った記憶があります。
 逆にいうと当時の私には、それくらいしか感じとることができませんでした(笑)

 しかし、これらの印象に残った点は、今振り返ってみると、全て解説文に書かれていることでした。つまり、後世の人が武蔵の文章を読んだり、どういう人生を送ったかを調べたりして、どういう風に解釈したのか、ということからしか学んでいなかったのですね。
  わかりやすくいうと、自分は武蔵ではなく、武蔵から学んだ人から学んでいたんです。
  ずっと昔の、全然違う世界に生きていた人なのですから、それが当然なんですけれどね。


 その当時から数年が経ち、学生だったのが社会人になり、大学で勉強していたのが実力主義ベンチャー企業で働くことになり、がらりと環境が変わりました。
 なんというか、とにかく自分自身で戦って生きなければいけない世界になったんだと思います。そこでちょっと気が向いて本書を読み返してみたら、解説ではなく、武蔵本人の(?)古文体の文章が、あ、これってこういうことではないかなと感じられるようになっていて、自然と心に入ってきたんです。

 今回は、その中で1番印象に残った箇所をご紹介させていただきます。



 私の心に響いたのは「兵法三十五箇条」の1文でした。

「心持ちの事 
 心の持ち様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直ぐに広くして、意のこころかろく、心のこころおもく、心を水にして、折にふれ、事に応ずる心也。」

 よくわからないと思いますが、この文章は訳文がなかったのでそのまま書かせていただきます。

 私はこの文章を、
「心の持ち様で大切なことは、恐れなどの感情で頭をいっぱいにするのではなく、水面のように澄み渡って落ち着いた心境で、頭で意識的に考えることは少しにして、心で直感的に感じることをメインにする、そして水のような柔軟な心で、その時その時、臨機応変に物事に対処するという心構えが大切である」
という意味だと解釈しました。


 なんといいますか、頭を使いつつも頭でっかちにならず、柔軟に、そのときそのときの状況に応じて物事に対処できるようになる、というふうなことではないかと感じました。

 

 私は、やはりこれまでは、勉強ということをひとつ大きな軸としてやってきました。そのため、どうしても理屈で考えて、こうなるはずではないか、こうなるべきではないのか、と頭でっかちに考えてしまうことが多くあります。そして、予想通りにいかないと、なんでこんなふうになるんだろう、わけがわからない、と困惑してけっこう疲れてしまいます(笑)。そしてあてずっぽで行動してまた、疲れてしまいます(笑)
  現実の人生を生きていくには、多分、頭を使うことも、直感的に行動することも、両方大切なんだと思います。
 一方ではなく、両方必要で、その適切なバランスが、「意のこころかろく、心のこころおもく」なのではないかなと私なりに思いました…。

  具体的には、例えば、ビジネスマナーの本を読んで、マナーとはこういうことだと頭で理解しても、それで実際何か上手くできるわけではないですよね。その知識を頭の片隅に置きながら、実際に人の中でもまれて、ひとりひとりに応じて、さらには状況状況に応じて、対応していくことが大切なんですよね。マナーの席次と違う位置に先輩が座られても、その方の意図を汲んで焦らず対応する、みたいな…。


 頭を使いつつも頭でっかちにはならず、心の声に耳を傾けて行動しつつも、全く何も考えないで行動するわけでもなく、両方をバランスよく兼ね備えて生きていく。そして、自分が水になったつもりで柔軟に、次から次へとやってくる困難に対応していく、そういうことが必要なのかなと思います。


  社会で毎日生きていくのは、私にとってはすごく大変なことですし、辛いことばかりです。日にちの決まったテストと違って、予期せぬときに予期せぬ困難、嫌なこと辛いこと、が現れます。
 そんな中で、頭で考えていては世の中理解できないことばかりだし、対処しきれないことばかりです。だから、あまり考えすぎず、適度に考えながら、水のように生きようと思いました(笑)。



   最後に、すごく個人的なことですが、自分は武人の中では宮本武蔵のファンだなぁと思いました。人気どころだと、信長や秀吉、家康あたりとか、坂本龍馬西郷隆盛あたりとか、コアなところだと、高杉晋作とか、あと中国の孫子とかにファンがけっこうついていますよね。
 私もそういう方はすごいと思うので、どんどん学びたいと思います。でも自分はやっぱり武蔵が1番好きだなあと感じます。なぜかはわかりませんが、それはもしかしたら、武蔵が自分の道をひたすら生きた人だからかもしれません。人の中で生きつつも、なんだかんだひとり我が道をいく、みたいな…。そういうところが好きかもしれない、と思うこの頃です。

   社会で生きるのは日々いろんなことが起こってほんとうに大変ですけれど、自分の軸を持ちながら、柔軟に生きていきたいものですね…。

 

参考URL:

五輪書 (講談社学術文庫)

あの地獄の5月から、はや1年…

現在、会社で課題が与えられ、ブログを書く時間が皆無に近いです。
 現在、会社で課題が与えられ、ブログを書く時間が皆無に近いです。

 でも、それで自分が続けると決めたことを止めるのも嫌なので、なんとか瞬足で書き上げました!
 少し文章が荒いのは、ご容赦下さい!



 あの地獄の5月から、早くも1年が経ちます。当時はまだブログを始めてなかったので、あのとはどのだろうと思われるかもしれませんが、私にとっては本当に人生において辛い時期であり、同時にその後人生が変わっていく転換点となった時期でありました。
 ちょうど1年前、私は2つの大きな挫折を経て、価値観や生き方が大きく変わりました。
 あの頃を思い返すと、大変感慨深いものがこみ上げてくるのです。

 
 ちょうど1年前のこの時期、私は試験勉強と合気道の稽古のことしか考えていませんでした。
 本当に、私の人生はその2つのことだけでできていたのです。


 5月下旬に国家公務員1種(現在は総合職と呼ばれています)の試験があったため、それに向けてひたすら法律を頭に詰め込む毎日でした。必修の憲法民法行政法、選択の刑法・商法・労働法、大量の法律に関する判例と、出題されそうな論点をひたすら覚える、そして過去問を解いて確認する、ただひたすらその繰り返しだけの日々でした。そのときの私は、暗記マシーンと化して感情がなくなっていました。文部科学省に入り、教育行政に携わるという夢を実現するには、それしかなかったので、とにかく闇雲に勉強していたんです。なんで、判例丸暗記しなければならないのかと、心の隅でうっすら思いながらも、やるしかないのでとにかくやっていました^^;

 同時に、合気道の稽古に対しても本気で取り組んでいました。私は2年生から、毎週月曜日の夜に、明治神宮武道場で行われる有志稽古に参加をしていました。その有志稽古は、稲葉稔先生(昭和の武蔵と呼ばれる國井善弥氏のお弟子さんです)という私の大変尊敬する先生による稽古であり、この先生と出会ってから、心から学びたいと思って、必死で通っていました。
 稲葉先生の稽古は厳しいですが、だからこそ卒業まで続けよう、少なくとも卒部までは絶対に続けるんだと思って通っていました。
 試験や面接が始まり、忙しくなるのはわかっていましたが、それでも続けることにすごく拘っていました。
 また、5月の文化祭で最後の演武会があったので、引退までラストスパートと思って、そのための稽古にも力を入れていました。

 とにかく、この時期の自分にとっては、試験勉強と稽古が人生の全て、世界の全てだったのです。
 なんと言いますか、生きていくためには、それが自分にとっては絶対必要なことで、そこでやりきらなければ先はないと感じていました。

 時間が経って振り返ってみると、その時の自分は、強烈な思い込みに突き動かされて、猛烈に行動していたんだとわかりますけどね。

 

 その後、勉強に関しては試験に落ちてこの進路を目指すのが本当に正しいのか悩むことになり、ご存知の通り、国家公務員への道は断ち、民間就職へ切り替えることになりました。

 また、稽古の方は、春に有志稽古に参入してきた新2年生や、どんどん実力をつけていくこれまで共に稽古してきた部員を見て、自分の才能の限界を感じ、ここがやめどきだと悟って通うのをやめました。部活自体は夏に引退するまで続けましたが、尊敬する稲葉先生の稽古に通うことにこだわりを持ってきたので、そのような結果になったことには本当にショックでした。


 今、あの頃から1年経って思うのは、まず、自分は、本当に思い込みが激しく、世界が狭かったなということです。
私は東京生まれの東京育ちで、中学こそ公立の中学校でしたが、高校からは都立の進学校に進み、受験は大変苦戦したものの、無事に一浪して東京大学に合格できました。だから、どこかその流れの中で、だったらその先は国家公務員だろうと決めつけていたところがありました。完全に見ている世界が体制エリートの価値観に規定されていました。
また、中学からずっと運動部だったので、とにかく諦めないで続けるべきだという、信念があり、絶対に途中でやめては駄目だと思っていました。

 

 今思うと、そんな絶対的なものなんてこの世にないので、結局のところ思い込みだったわけですが。


 他には、すごく他の人や物事に対して、私は非寛容だったなと反省しています。
 夏目漱石の『こころ』に、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という台詞がありますよね。自分はどこかそんな風に人を見ていたところがある気がします。今思えば、なんて浅はかな思い上がりだったのだろう、他人に対して冷たかったんだろうと、恥ずかしいですが。
 高校受験では、もともと学校の成績がよかったこともあり、普通に一生懸命受験勉強すれば受かってしまいました。だから、必死に勉強して、それが上手く報われて、だから世の中努力すればちゃんと最後には報われるんだみたいなことを思ってしまったんです。
 こう言ってしまうと聞こえは悪いですが、世の中のエリートでこのような考え方になってしまっている人は結構多いと思います。
 でも、私は、進学校に入ってから揉まれて、東京大学に必死に人生かけて勉強して臨んだのに落ち、現実の厳しさを知りました。
 そこではじめて、努力が報われると限らないことを知りました。

 

 ただ、それでも東京大学になんとか受かったので、やはり向上心すらない人は駄目だと、どことなく人を見下したようなところがありました。
 そして、国家公務員試験に落ちて、自分が如何に傲慢だったのかがやっとわかりました。そして、就活で挫折が続き、世の中って本当に理不尽で、努力が報われるどころが、人生かけて努力するに値するものって意外と少ないのだということがわかりました。そういうものと出会えてたこと自体が幸せなんだと、初めて気づきました。
 本当に、そこで気付けて良かったです。1年前にぽっきり折れてなければ、本当に鼻持ちならないエリートになっていました。ああよかったよかった(笑)


 それに気付いたことで、自分とは違う、世の中のいろいろな人を、はじめて心から受け入れることができるようになったように思います。
 それまで 無意識に、上昇志向が強かったので、成功者とか、エリートとか、そういう世界や人ばかり見ていました。
 でも、それだけでは駄目なんだと気付けました。
 

 世の中の優秀な人、勝ち組の人には、駄目な人、負けた人、目立つ欠点などを否定して、排除する人が多いと思います。そして優秀な人だけで狭い世界を作ります。
 自分はエリートコースを歩むうちに、そういう価値観に呑まれていた気がします。
そういう人達だけでなく、本当に世の中にはいろいろな人がいて、確かに駄目なとこや欠点や、いろいろあるけれど、人間として毎日一生懸命みんな生きているんだということ、それが大事だと思うようになりました。
 そういうことに気づけるようになったおかげで、そこから本当の意味で人を思いやったり、手を差し伸べたり、そういうことが徐々にできるようになってきたように思えます。まだまだ少ししかできませんけれど。



 

 まとまらないものをまとめると、結局のところ、自分は思い込みで前に進んでて、視野が狭くなっていたのだと思います。
  外から見てみると、何頑張ってんだとか、勉強よりもっと遊んでコミュニケーションとったほうがよいよとか、そういうふうに見えると思いますし、それはもっともだと思います。
  しかし、実際それを言われると、何かに人生かけたこともない人に、何がわかるんだろうという気もしてしまいます。

 でも同時に、頑張ってないからとか、上手く就職できないからとか、そういうことばかりで人を見て、ダメだと決めつけるとか、そういう人を見下したり排除したりとか、そういう姿勢にも凄く違和感を感じてモヤモヤします。


 本気で頑張って進んで来なければ、納得できず、後悔だらけの人生になっていました。
 でも、頑張って頑張って、挫折をしなければ、傲慢で、人を思いやれない狭い人間になっていました。
 どっちも一長一短で、どっちも大切で、ひたすらモヤモヤして、答えが出ません。

 とりあえずのところ、最近思うのは、人生って、普通に生きていれば、寝て、起きて、ご飯を食べて、食べるために労働して、同じことの繰り返しで、そのうち老いて、死んで、それだけのつまらないものなんじやないかということが1つあります。
 だから人生って、何もしないとただだるくてしんどいだけなのではないかと…。

  それなので、どうせ生きて、そのうち死ぬなら、何か思い込んで、夢中になって行動するのもありかなーと。そうして始めて気づけることもたくさんありますし。

 

 おおざっぱですが、これがとりあえず現段階での自分の結論です。きっとまた考え方もいろいろ変わると思いますけれど…。


 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

 皆様、生きるのは毎日大変ですが、良い1日をお過ごし下さい(^^)*


コミュ障東大生の最強処世術ー人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略ー[2]

[2]フレームワークの転換

 今回は、コミュニケーションに対するフレームワークを転換することについて書きたいと思います。

 今回からは、これまで文章が抽象的すぎたのを反省して、少し書き方を変えてみたいと思います。理想は、誰にでもわかりやすく、かつ内容は深い文章です!

 さっそく難しい言葉を使ってしまいましたが、「フレームワークを転換する」とは、見方・考え方を変えるという意味です。つまり、コミュニケーションにおいて、これまで人に言われるなどして、当たり前と思っていた考え方を、もう一度捉え直してみようということがテーマです。

 具体的には、
・人に話しかけることと人から話しかけられること
・集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか
という2点について書いていきたいと思います。

⑴人に話しかけることと人から話しかけられること

 コミュニケーション能力が低いと思ったとき、多くの人がまず考えるのは自分から人に話しかけなければということですよね。
 しかし私は、それよりも、とにかく声をかけてくれた人にありがとうと思って丁寧に対応することの方が大切だと考えます。


 例えば、学校で新しい友達をたくさん作ろうと思ったとします。そのとき、まず多くの人は、自分から周囲の人へ話しかける回数を増やそうと考えるはずです。そして、親や教師からはそういうふうに教えられてきたはずです。
 それで上手く行く人も当然たくさんいますし、人に話しかけることが楽しければ何も問題はありません。

 しかし、本当に人と関わることが苦手な人は、声をかけること自体に多大な勇気が要りますし、頑張って声をかけても声が小さかったり、冴えない人間だったりすることで、無視されたり、雑に扱われたりと嫌な思いをすることも沢山あります。
 クラスの人気者が話しかければ笑顔で答えていた子が、冴えない自分が話しかけたときはそっけないというような経験はありませんか?私はずっとそうだったので、いくら自分から声をかけ続けても思うように関係を構築していくことができず、自信も全くつきませんでした。

 それよりも、人と関わる上でまず大切にすべきことは、向こうから声をかけてきてくれた人に、ひとりひとり、ありがとうという気持ちで丁寧に対応していくことだと思うんです。
 どんなに人気がなくても、声をかけられることはどこかのタイミングであるはずです。当然他の人よりも回数は少ないですが。そのタイミングを逃さず、折角話しかけてきてくれたのだからとその人と関わる、そのひとつひとつの積み重ねが人との関係を作っていくと思います。
 そして、このやり方なら、無理に声をかけなければとメンタルを蝕まれたり、焦って突拍子も無いことをしてしまったり、自分のペースを変に崩す必要もないわけです。

 逆に、それができたら、ある程度自信がついたところで、自分から話しかけたりすることもできるようになっていくと思います。
 

 また、誰からも声をかけてもらえないというのならば、何かひとりででできることに打ち込むのもよいと思います。何かに一生懸命な人には、自然と誰かしらが興味を抱くようになります。そして人から話しかけてもらえる機会が増えて、少しづつ人間関係も良くなっていく気がします。始めに自分磨きありきという考え方です。



⑵集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか

 学校や社会で生きていると、とにかく集団行動を教えられるので、人間関係に関して、集団単位で考えがちになります。
 集団に上手く馴染めているかとか、会話に入れているかとかそういうことにばかり目がいきますよね。
 しかし私は、人と関わる上で大切なのは、集団でわちゃわちゃすることよりも、1対1で人としての関わることなのではないかと考えます。

 例えば、上記と同じ学校の例ですと、クラス内のグループのどこかに入らなければとか、人が集まって会話していたらそこに入っていかねばならないとか、そういうことばかり考える人が多いと思います。そして、実際にどこのグループにも入っていなかったり、人の輪に入っていなかったりすると、それではダメだ、ちゃんと輪に入るべきだと主張する人が多いですよね。

 でも私は、人との関わりの基本は、やはり1対1の人間関係だと思うんです。立場に関わらず、どこでもどんな時も、ひとりひとりそのとき出会った人との関わりを大切にする、それが大事だと思います。

 

 例を挙げると、クラスの人気者Aさんが話しかけてきたときや、会話の中心になっているBさんが話を振ってくれたときだけに、自分はグループに所属できたからうまくいったのだと喜ぶのではなく、クラスの端の方で、いつもおとなしいCさんが声をかけてきたときも、道でばったり会ったDさんとおしゃべりしたときも、関われてよかったなと、個人単位で判断していくということです。

 現実には、集団で話をしていると何がなんでも輪に入ろうとするけれど、輪から外れたとこで地味な子がひとりでいても、誰も相手にしないということがよくありますよね。私が大切にしているのは、例えばそんなCさんが輪の外で話しかけてきても、個人として関わって、その関わりに感謝するということです。

 



 以上、2点について述べてきましたが、やはりふつうに学校や社会で過ごしていると、自分から話しかけなくてはとか、会話に入らなければダメだとか、そういうふうに思い込んでしまいます。学校でそういう教育を受けていますし、社会とはそんなものなので当然そうなります。でも、こうやって少し見方・考え方を変えてみると、コミュニケーション能力最底辺の社会不適合者だとしても、まだまだできることがあるように感じませんか。

 そもそもコミュニケーションをしろと言ってくる人は、無意識に人と上手く関われてしまう人が多く、普通の人と同じようにできない人の気持ちが基本的にわかりません。そのため、なんの考えもなく、輪に入れ、ぼっちになるなとか言ってきて、そういうひとに限ってなんの有益なアドバイスをしてくれないことが多いと感じます。それでひとと関わるのが本当に苦手な人は、やっぱり自分はコミュ障でダメなやつなんだと自信をなくし、人と関わるのが嫌になっていきます。
 でも、少なくとも私は、そんな最底辺から、自分なりのやり方でのしあがってきました! 

 だから、そういう自分を否定してくるような人の言葉には耳を貸さず、このブログを読んで元気を出して過ごしていただけると嬉しいです(笑)

 

 最後に、本見解は、タイトルどうり、あくまで私個人が「東大生」として考えた意見を書いたものであって、社会人としての意見をを書いたものではないことにご注意ください。

 また、一流の接客業の方や飛び込み営業で成功されている方などで、なんとなくではなく、本気でスキルとしての対人能力を身につけたことで、できない人にもしっかりしたアドバイスをできる方もいらっしゃいます。
 そういう方の見解にはまた別に学べることが沢山あるので、私の見解はそれらを否定するものでは全くありません。

 以上にご注意いただいた上で、文章をお楽しみいただければ幸いです。

 少しはわかりやすく書けていたでしょうか^^;…

 

 

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本   <第3回>鎌田浩毅『成功術 時間の戦略』

 いつも読んでくださる方々、大変ありがとうございます!

 筆者は4月から働き始め、あくせくと新しい環境に適応している最中です。少しペースが落ちることもあると思いますが、これからも継続的に更新していきたいです!

 

 今回は再びおすすめ本のコーナーにしようと思います。


 第3回は、鎌田浩毅さんの『成功術 時間の戦略』を扱います。この本は、時間の使い方に対する戦略を書いた本です。  

 

 

 4月になり、内定先の会社で働き始め、そういえばだいぶ前にこんな本を読んだなと思い出しました。
 環境が変わって、大学時代とはまた時間の感覚がかわり、改めて時間について思いを馳せました。また、社長から時間の使い方についてのお話があり、私にとってまさにタイムリーな本です。

 

 この1冊は、時間をうまく使うことが苦手であったり、つい予定がないとだらだら過ごしてしまうという方、オンオフの切り替えが苦手という方などに読んでいただきたいです。また、これから成功を掴み取っていきたい方におすすめです。

 

 著者の鎌田さんは、東京大学理学部を卒業し、通産省地質調査所主任研究官等をへて現在京都大学の教授をされている方です。面白い講義が学生に人気で、テレビにも出演されています。

 

 では、私がこの本の中で特に印象に残った、第1章と第9章を中心に紹介していきたいと思います。


 第1章では、「活きた時間」と「死んだ時間」について扱われています。

 

 鎌田さんは、時間について、以下のように書かれています。

「誰にも1日24時間が与えられているが、その使い方によって、人生は千差万別に違ってくる。」
「私たちは自分の持ち時間について、もっとよく考え抜く必要がある。…(中略)…誰にも平等に与えられている時間を、どのように費やすべきだろうか?活きた時間として過ごすか、死んだ時間にしてしまうかでは、決定的な差が生まれてしまう。」

 

 そして、「活きた時間」とは例えば、わかりやすいものだと、時間が経つのを忘れるほど、夢中になって小説を読んだり、汗を流しながらスポーツに熱中しているような時間だと述べています。
 また、活きた時間とは、「現在過ごしている時間が、未来の創造へ向けて活かされているような時間」だと定義しています。

 

 逆に、「死んだ時間」とは、惰性でだらだらと過ごしてしまうような時間のことです。例としては、だらだらと意味のない作業を続けたり、面白くないのに飲み会にでたりする時間をあげています。

 

 鎌田さんは、このような「生きる密度によって感じ方の異なるような時の流れ」について問題意識を持っているのです。

 そして、いかに死んだ時間を排して、活きた時間を多く過ごすかが大切だと主張されています。


 この本がきっかけだったかどうかはあまり覚えていませんが、私は常に有意義な充実した時間を過ごすことにすごくこだわりを持ってきました。
 特に高校3年生のとき、東京大学に一度落ちて挫折し、心を入れ替えて以来、どの1日たりとも無駄な日は過ごしてきていないという自負があります。(ときにそれが無駄なプライドとなってしまいますが笑)

 

 それが良いことなのかどうか、正直なところよくわかりません。私は、逆にのんびりと平凡で平和な毎日を過ごすことができなくなってしまい、退屈な日が続くと本当に死にたいような気持ちになってしまいます。それも問題ですよね。

 そして、充実した、常に成長できていると感じられる時間を過ごすことにこだわったら、なんだかものすごく濃くて、大変で…なんとも猛烈な企業で働くことになってしまいました(笑)。

 

 ですから、当然、全ての時間を有意義に過ごすことを、全ての人がやる必要は全くないと思っています。私はそれぞれどんな人生が送りたいかって、好みの問題が大きいと考えているので。

 でも、毎日が同じことの繰り返しであるような色あせた毎日に、少しでも疑問があるならば、「活きた時間」を過ごすことを意識してみると、1日1日が全部違う、ときに新鮮な感動が得られる日々が送れるかもしれません。

 

 

 次に、第9章ではオフの時間について扱っています。

 鎌田さんは、オフを「仕事をしているのがオンとすれば、スイッチを切った
状態」であると定義して、戦略的なオフの時間をとることをすすめています。

 

「よい仕事を成し遂げるためには、頭をフルに使わなければならない。しかし、そのためには合間に効果的な休みを入れる工夫も必要だ。」

 


 著者はオフの種類を3つにわけて紹介していますが、ここでは割愛させていただきます。

 結論としては、「仕事に熱心な人ほど、仕事から離れるのに困難をともなう。仕事中毒から抜けるのには技術がいる。努力して強制的にスイッチオフの状態に持ち込む必要があるのだ。」と、仕事に一生懸命になる人ほど、努力して意図的にオフの状態を作ることが重要だと指摘しています。

 

 みなさんは、東大生というと、ガリ勉のようなイメージもお持ちかと思います。しかし、実は東大生にはオンとオフの切り替えが上手くて、むしろ趣味が充実している方が沢山いるんです。

 集中するときは集中して、リラックスして楽しむときは楽しむ、いうことです。

 

 実は、オフに関して、私は過去にすごく大きな失敗をしています。高校時代、東京大学を目指した受験勉強と、互いに切磋琢磨する厳しい運動部活動と、両方に力を入れて過ごしており、どちらも成功させたいがために趣味などに費やす時間を全て削っていました。

 はじめはそれで時間が増えた分、伸びたような気がしましたが、しばらくすると成果は頭打ちになり、最後には心身ともに余裕がなくなって、怪我、人間関係の歪み、不眠症、勉強に集中できない…と、がらがらと崩れることになりました。


 そこで反省し、毎日リラックスする時間を決めてオフを取るようにして、ペースを取り戻すことができたのです。

 

 世間では、とにかく量をこなした方がよい、休まず働くことが素晴らしい、というような価値観がありますが、継続的に結果を出して成長していくには、メリハリということが大切なように感じます。

 

 就職して働き始め、忙しい毎日なので、私もしっかりとリラックスする時間をもうけて、以前のように潰れてしまうことのないように頑張りたいです!

 

 以上、1章と9章について紹介してきましたが、この本には他にもいろいろと人生の時間の使い方に関する戦略が書かれています。

 私がこの本を読んだのは、ずいぶん前のことになるので、ああ、戦略とか立てても人生思い通りにならないものだと、今は思っています。

 でも、もっとこうなりたい、こうしたいという気持ちで、自分が生きている時間を有意義に使おう、そして充実した後悔のない人生を送ろう、そういうことって誰にとっても大事なことである気がします。

 

参考URL:

成功術 時間の戦略 (文春新書 (443))

東京大学卒業式 〜人生のレールを乗り換えていくにあたって

  東京大学を3月24日に卒業致しました!

  その後海外旅行に行っていたため、更新とコメントへの返信が遅れている次第です

^^);

 今回は、前半に東京大学の卒業時にやるべきこと、卒業式の状況などについてまとめ、後半に、大学を卒業するにあたって考えたこと、感じたことなどを書いていきたいと思います。

 

 なので、東京大学の卒業式について知りたい方は前半を、いつものような文章を気に入って下さっている方は、後半から読んでいただければと思います!

 

東京大学卒業式の手順や注意事項についてー

 卒業式当日の流れに沿って、東京大学卒業時にやるべきことや注意点についてまとめたいと思います。

 

 というのは、自分が卒業式にあたって、気になった疑問点を検索しても、意外とネット上に情報を見つけられなかったので、こういうのがあったらよいなということで作ってみました!

 

  1. 当日の服装

・女性は袴、男性はスーツの上にアカデミックガウンが多いです。

女性で袴の上からガウンの方もいましたし、私などは振り袖を着るのが嫌なので、女子なのにスーツとガウンでした!

 

ガウンを着るタイミングは?電車の中でアカデミックガウン着ていたらおかしくないかな?個人的には気になりましたが、調べてもあまり分からなかったので困りました…(^.^);

袴を着る人は、本郷三丁目付近のどこかで着替えていた方が多いみたいです。ガウンは持っていって学内で着る人もいたようでしたが、私は家で着て、上からコートを羽織って電車に乗りました。

 

  1. 安田講堂での卒業式

安田講堂講堂周辺は、当日すごく混雑し、講堂に入るまで並びます。

卒業生が安田講堂に入りきらず、あぶれた人が御殿下でパブリックビューイングをするはめになると、メディアで騒がれていますよね。講堂に入りたいのならば時間に余裕を持って行く方がよいです。

・では、並ぶ時間はどれくらいなのか、何分前に着けば入れるのか?自分にとっては1番欲しい情報でしたが、これもネットで見つかりませんでした。

結論としては、私は30分前に並びはじめ、1階に座れました!

ただ、赤門前や講堂前で写真を撮ったりして意外と予定より多く時間がかかったので、できるだけ余裕は持ったほうがよいです。

 

  1. 卒業アルバム受け取り、生協退会

キャンパス奥の第2生協食堂に行きます。

・3階にあがり、申し込みをしていた卒業アルバムを受け取れました。

とにかくかさばって重いので、事前に受け取れる方はそのほうがよいです。

・1階では、大学生協の退会手続きをしました。

退会すると、出資金が返還され、1万6千円も受け取れました!これは嬉しいですね。

 

  1. 学位授与式

・卒業式の後は、各学科に分かれて学位授与式が行われます。学位記をひとりひとり前でもらいました。

・このときに、学生証を返還する必要があります。

・卒業証明書と成績証明書は貰えるので、気にしなくても大丈夫でした。

 

  1. 謝恩会

・あとは、学科などで行う謝恩会です。ここも服装が気になるところですね。

女性は袴のままの方も多いですが、長く着ていると疲れるので、ドレスに着替えてから出る方が多いです。男性はほぼスーツです。

 

 以上、大雑把ですが、どなたか私のように困っている方の参考になれば嬉しいですね。

 

—大学卒業に際して:人生のレールを乗り換えていくにあたってー

 後半は、東京大学卒業を控えたここ1ヶ月程で考えてきたこと、感じたことについて書いていきたいと思います。

 

 まず、いざ卒業するとなったときに思うのは、自分はやっぱり東京大学が大好きなんだなということです。

 

 テレビなどで、恋愛をしてこなかった東大生を笑いの種にする番組がありますが、私は、いってみれば東京大学にずっと恋をしていたのだと思います。

 人としてそれはおかしいという意見もあると思いますが、自分にとっては、それで充分、恋愛の要素が足りていました。

 高校入学当初から、目標として東大のことをずっと考えてきました。また、受験が近ずくにつれ、朝から晩まで東大のことを考えるようになりました。

 その目標があれば自分は強くいることができましたし、毎日が満ち足りていました。

 一浪して合格したときには、幸せがひたひたと、全身を満たしていきました。生きていてよかったと実感できました。

 そして、入学後には東大は人生が変わるような成長をたくさんさせてくれましたし、常識とずれている自分でも心を通わせられる出会いと仲間をたくさんくれました。最後には、学外での素晴らしい出会いとも繋っていきました。

 

 だから、私は東京大学が、本当に本当に大好きなんです。

 

 

 しかし、同時に4年間をそこで過ごし、挫折も沢山経験すると、嫌なところもたくさん見えてきます。

 

 古くからの伝統をもつ、アカデミックな世界。それは同時に視野の偏った融通の利かない世界でもあります。学問をして、全部を知った気になっても、それは古くてしがらみの多い、学問的な枠の中とその延長線上だけで、見たり考えたりしているにすぎないのです。

 だから、理屈が現実社会から離れて、何の役にもたたなくなってしまうことも多くあります。

 

 誰もが認める、世界的な大学。それは同時に、ブランドや権威に人が集まり、そういうものばかりに評価が行く世界でもあります。

 最近世間では、起業起業と騒がれていますが、周囲はやはり国家公務員や有名大企業への就職が圧倒的に主流です。それか、あとは言わずもがなの研究者ですね。(ちなみに研究者については、これはこれで、修羅の道ですが…。)

 

 そういうところには、本当に優秀な人が入っていきますし、よい仕事をしているところもたくさんあります。

 でも、就職に際して、そこが本当によい仕事をしているのか、社会に貢献できているのか、自分の志と一致しているのか、そういうことを考えている人は本当にひと握りであるように思えます。

 みんな、周囲に流されて何となく就活して、ブランドを基準に企業を選んで。内定を獲得したら、やれゴールドマンサックスだのマッキンゼーだのとひけらかしてよい気分に浸る。そういうところに内定した友人がいることで、自分もよい気分になる。就活生に関しては、そういう風潮が否めません。

 

 本当に社会を自分がよくしてやるとか、なにか偉大なことを成し遂げてやろうとか、そういうことが優秀なわりに前面に出ていかなくて、安定した生活が送れればそれでよいのだと、そこで満足してしまう傾向が目立つ気がします。

 本当に優秀な人ばかりだし、みんな努力家だし、意識が高い人も多いし、でもなんだかんだ枠の中に収まってしまって、本当に新しい可能性を開いていくような人は限られてくる。そのような現実があるように思えます。

 

 でも、それは東大生だから悪いとか、そういうことでは全くないと感じます。みんなひとりひとり自分なりに人生頑張って生きていて、本当に尊敬できる人達ばかりです。 でも、社会は所詮人間の集まりで、人間には完璧な人なんて存在しなくて、集団心理でみんな何となく生きていてそういう風になっている、ただそれだけのことなんだと感じます。

 

 そして自分はそんな社会の枠の中に上手く居場所を見つけられませんでした。そしてそういう現実にここ半年くらいで気づいていって、無理して合わせることに魅力も感じられなくなり、結果的に新しい方向に進んでいくことになりました。

 

 

 それにより、これまでとは目指してきたものも、価値観も、徐々に変わっていきました。意図せずして、目指すものが変わったことで、付き合う人までも変わっていきました。

 

 自分がこれまで絶対的に信じてきたこと、強く思い込んで身を捧げてきたこと、そういう事柄と離れていくことになりました。

 そして、これまで尊敬して大好きだった人達との付き合いもどんどん減っていくことになりました。その人達を尊敬する気持ちに全く変わりはないのですが、ずっと一緒にいても自分のさらなる可能性は見出せないとわかっているから、離れていくしかありませんでした。それが無性に寂しくて悲しく感じます。

 

 でも、寂しいからといって、そこでもう成長していけないのなら、新しい世界に進んで自分なりの可能性を切り開いていかなければなりません。

 それが、人生の「レールを乗り換えていく」という事なんだと思います。

 それは、既存の価値観に捕らわれて、身動きが取れなくなり埋もれてしまうよりも、ずっと大事な選択だと考えます。

 

 そして、寂しくても、名実共に、大好きな東京大学を卒業していかなければならないのだと思います。

 

 

 いよいよ、4月から新しい生活がスタートします。

 ビジネスも、ベンチャーも、ITもエンジニアリングも、自分がこれまで勉強してきたこと、自分が仕事として携わっていきたいと強く執着してきたこととも全く違う世界です。

 

 でも、ここからようやく周囲と同じように、エリートコースを走るのではなく、オンリーワンの自分の人生を生きていけるのだと思うと、すごくわくわくした気持ちが湧いてきます。

 

 これから、ひとつひとつ困難を乗り越え、社会人として自立した、新たな自分になっていきたいです!!

コミュ障東大生の最強処世術 —人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略−[1]

[1]コミュニケーションに対する認識を変える

 『コミュ障東大生の最強処世術』第1回では、「コミュニケーションに対する認識を変える」というテーマで、

  • コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である
  • コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

という、自分独自の視点について詳しく書きたいと思います。

 

 まず、導入として、私がなぜその姿勢をとるに至ったのか、軽く触れていきたいと思います。

 私は、高校時代、しっかりと友人をたくさん作って、集団に適応していきたいと考えていました。中学のときに孤立しがちだったことを反省し、いわゆる高校デビューをしたいと思っていたのです。進学校に合格し、同じくらいの偏差値の人間が集まった場ならば、浮かずにうまく周囲に溶け込めると信じていました。そのため、高校では、自分から積極的に声をかけて友達を増やそうと行動しました。それまでは、一部の親しい人としか仲良くできなかったので、これをきっかけにクラスのどの人とも仲良くできるような人間に変わろうと努力しました。

 しかし、その努力は実りませんでした。自分から話しかけても、目立たない私から声をかけられて喜ぶ人は残念ながらあまりいませんでしたし、いろんな人と仲良くしようと八方美人になってしまい、結局親しい友人を作ることができませんでした。また、所属していた部活動では、積極的に行動したことで、逆に強い態度に出すぎてしまい、周囲との関係を悪化させることになりました。それがきっかけで、人と関わることがいやになり、抑鬱状態にまでなってしまいました。

 そのように過ごしていく中で、私は、「アスペルガー症候群」という、知的に遅れがなくても、コミュニケーション能力に生まれつき問題がある人達がいることを知りました。自分はひょっとしたらそれではないかと思い、ネットや本で調べたり、人から話を聞いたりするようになりました。それにより、自分がコミュニケーション能力に問題があるのは生まれつきだから、いくら人と同じように努力してもだめなのだということを悟りました。(実際は自分はアスペルガー症候群ではなく、「自閉症スペクトラム」というものだと後にわかりました。)

 しかし、自分にとっては、そこで、いったんふっきれてしまったことがその後、人との関わり方を大きく改善していくきっかけとなりました。いくら周囲をうらやんでも、絶対に自分は人と同じように過ごすことはできないのだから、自分独自のやり方で、人とは比較せずにやっていこう。できないことを嘆くのではなく、小さくてもいいから自分にできることをやっていこう。そう、切り替えて変わっていくことができるようになりました。

 

 このような経緯で、独自の前提に立って、人間関係の戦略を構築していくことになりました。この独自の視点について、以下で詳しく述べようと思います。

 

⑴コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である

  これは、コミュニケーションは、充実した豊かな人生を歩むための、また人生に勝つための道具であると、わりきってしまうという意味です。

 

 すなわち、コミュニケーション自体を目的とした生き方を捨てるというスタンスであるといえます。

 

 私は、上記の理由でコミュニケーション能力について諦め、他に生きがいを見出すことにしました。それは、目標を設定して、それを目指す努力に全力を傾けることでした。そして、コミュニケーションはその目標を達成するための道具なのだと、だから道具として最低限機能するように努力すればよいのだと、そういうふうなスタンスに変えました。

 私の場合それは、東京大学の合格を目指して努力を積み重ねることでした。東大を目指して勉強を積み重ねることを生きがいとして日々を過ごし、周囲の人間関係は、それをサポートしてくれる人との関わりを重視しました。また、それ以外については、集中して勉強することの妨げにならないように、そこそこ良好な関係を保つことを心がけました。

 

 それにより、以前のように、集団からあぶれないようにと周囲に合わせようとしたり、こいつ友達がいないのだと見下されないように上辺をとりつくろったり、そういう疲れることをしなくて済むようになり、精神的に安定して過ごせるようになりました。また、たとえ友達が少なくても、自分には東京大学という目標があるのだ、そう考えて勉強に集中することで、自分に自信を持って、充実した毎日を送れるようになりました。

 

 もちろん、この目標は、私がたまたま東京大学合格であっただけで、他の目標であってもいいわけですし、目標でなくて趣味やなにかでも、自分が生きがいを見出せるものであればなんでもよいのだと思います。

 

⑵コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

  これは、コミュニケーション能力がどうのこうのと悩んだり、嘆いたりする前に、自分自身がしっかりすることが第一だという意味です。

 

 これは同時に、他人を羨んだり、誰かがなんとかしてくれるのを期待したりするのではなく、とにかく自分が解決するんだという気概をもつということです。

 

 私の大学での専攻は教育学でしたが、私は教育分野に広く行き渡っている、「周囲のサポートがあることが大切」「いかに困っている子に気づいて悩みを聞いてあげるかが大事」というような考え方が、あまり好きではありません。

 

 本当に困って、悩んでいる時、鬱々悶々と悶え苦しんでいる時、必ず誰かそばに支えになってくれる人がいる・・・そうとは限らないじゃないですか!

 少なくとも私の場合は、本当に悩んでどん底にいるときは心を閉ざしてしまい、周囲に人が寄り付かなくなってしまいます。だから、いくら辛くても、都合よく助けてくれる人なんてあらわれません。自分でなんとかして立ち上がるしかないんです!!

 

 人に言われたからとかではなく、まず自分でなんとかしたい、変わりたい、もっとよくなりたいと切望し、自分自信で試行錯誤して進んでいく。

 コミュニケーションがどうのという前に、自分が人として変わっていくんだという自立心をもつ。そういうことこそが大切なのではないかと思います。

 

 学校教育という環境は、そういう自分が強くなっていくんだという気持ちを後押してくれるような姿勢が足りないと思います。「道徳」や「思いやり」が大事だと、口で言うのは簡単ですが、本当にそれで本人が成長できるのかというところが疑問です。自分にできることをやって、自分でなんとかしていくしかない、そういう気持ちを応援して背中を押してくれることこそが、人を育てる上では重要だと、私は思うのですが。

 

 とにもかくにも、私にかぎっては、自分ができるやり方で、自分の力で変わっていく、そういう姿勢をもつことがその後の成長につながりました。それにより、結果的に人としての魅力や周囲からの評価が上がり、よい出会いも増えていったような気がします。

 

  

 以上、コミュニケーションを道具と捉えて他に生きがいを見つけること、人に頼らず自分で成長していくこと、と2つの自分を中心に据えたあり方を主張してきました。しかし、これらのことは、決して人と関わることの重要性を否定しているわけではありません。

 

 むしろ、その逆です。

 

 不思議なことですが、一人でしっかり生きて行く姿勢になると、むしろ他者のありがたさをひしひしと実感するようになります。なぜなら、人はやっぱりひとりでは生きられないことがわかるからです。

 独立した一個人として相手と関わっていくからこそ、あの人って本当にすごいなと感じたり、ほんのちょっとの気遣いが身にしみたり、この出会いがあって本当によかったなと感動したり、そういうことがどんどん生まれてくるような気がします。

 

〜一応つけておく実践ガイド〜

  最後に、一応実践ガイド的なものをつけておきたいと思います!

 これは、単純に、自分が人の文章や本を読んでいて、行動に移せるようなわかりやすいまとめがあると嬉しいと感じるからです!つまりは、完全な自己満足です(笑)

 

・コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である

◇人に合わせたり、うわべをとりつくろったりすることに疲れていないでしょうか。もし、そうだとしたら、他に自分で取り組める生きがいを何か見つけることで、自分に自信を持って、落ち着た日々を過ごせると思います!

◇ささいな、人に好かれた、嫌われたなどの感情に動揺する毎日でしょうか。もしそうならば、その人間関係が自分にとって何の役立つのか、改めて考えなおし、本当に必要な関係をはっきりさせると良いかもしれません。

 

・コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

◇もし悩んでいることがあったとしたら、小さなことでよいので、人と比べるのではなく、自分にできることは何かを考えてみるのがよいと思います。

◇人の助けが必要だとしたら、誰かに頼るのではなく、自分が成長するのに必要なことをアドバイスしてもらったり、背中を押してもらったりするという気持ちで、主体的に関わっていくとよい結果を得られると思います。また、助けを求めるときには、そのようなしっかりと力になってくれる人を厳選することが大切だと思います。

 

 

今回は以上となります。

コメントはいつでも歓迎しております!

ありがとうございました!

 

 

 

コミュ障東大生の最強処世術 —人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略−[序]

 今回の投稿では、もうひとつだけ新企画を始めてみたいと思います。

 

 ここでは、ものすごく人と関わるのが苦手な私が、生きるために独自に培ってきたノウハウを公開したいと思います。

 

 最近、人と関わるのが苦手にもかかわらず、どんどん外に出て行って果敢に行動していることが、周囲に評価されてきているような気がします。

 そのことから、自分が必死に生きてきた中で培ってきた技術に対して、ニーズがあるのではないかと考えました。そこで、せっかくなのでブログで公開し、読んでくださった方のお役に立てたら、または元気の元になることができたら嬉しいなと思います。

 

 

 まずはじめに、当企画の文章は、一般的な人間関係に関する方法論に対し、以下の点で独自の視点に立ったものです。

  • コミュニケーションは、充実した人生を生きるための道具である
  • コミュニケーション以前に、自立したひとりの人間であることをより重視する

 

 当前提のもと、全6章に分けて、人間関係の実践に役立つ考え方をまとめていきたいと思います。変更の可能性はありますが、現段階では以下のような章立てにするつもりです。

 

[1]コミュニケーションに対する認識を変える

[2]フレームワークの転換

[3]戦うことを覚える

[4]一期一会のメンタル

[5]マーケティングの重要性

[6]コミュ障を強みに変える

 

 当構成は、私が人生の中で試行錯誤を繰り返してきた流れに基づいたものとなっています。

 

 高校から進学校に入り、厳しい競争社会にうまく適応できず、抑鬱状態にまで陥ることがありました。持ち前の根性で、学校を休むことはありませんでしたが、挫折を重ねる中で、人と同じようにやっても自分はダメなのだと気付き、認識を変えて独自の方法論のもとに技術を蓄積し始めました。その内容を主に[1][2]にまとめようと思います。

 大学に入ってからは、合気道部に入り、そこで人に揉まれに揉まれながら、武道の考え方を応用しつつ、上手くいくやり方を探りました。そこで掴んだことを[3][4]でまとめようと思います。

 就活では、積み重ねた努力にもかかわらず、大変苦労することになりました。ドン底を経験しながら奮闘を重ね、なんとか新たな段階に進むことができたので、そこで得た気づきを[5][6]でまとめようと思います。

 

 この文章では、自分のようにコミュニケーションで悩み自信をなくしている人が、見方を変えて前に進んで行くきっかけとなってもらうこと、とくに、学校にうまく馴染めないようなタイプの人が、自信をつけるきっかけとなってもらうようなことを狙っていこうと思います。

 

  ”コミュニケーションは苦手だ。だからといってなんだというのか!”

  ”自分だって充実した人生を送りたいんだ!”

  ”コミュ障だということに臆せず、堂々と生きてやるぞ!”

  

そんな心の叫びに正直に生きていけるとよいと思います☆

 

 

  4月から働き始めて、更新が続けられるかはわかりませんが、とりあえず今は時間があるので、書くぞと宣言して始めてしまおうと思います!

 また社会に出れば見方もいろいろ変わってくると思うので、基本的に私が学校という環境の中で培った考え方として、「コミュ障東大生の最強処世術」のタイトルで書いていくつもりです。もう卒業して東大生ではなくなるわけですが

(^^;

 1章は次回、2章以降はその他の書きたいことと交互に出していく感じで、続けていきたいと思います。

 スローペースではありますが、よろしくお願いいたします!