就職で失敗した東大生が挫折を乗り越えていった話〜就職できない東大生のリアル〜

就職で失敗し、挫折した東大生がもんもんと考えたことを書いたブログです。東京大学に合格し、将来への期待を胸に頑張るも全然上手くいかず・・・。人生に行き詰まり、一転負け組になる。現在は人徳のあるベンチャー企業に拾ってもらい、日々社長のもとで奮闘中。

最先端のシェアリングエコノミー!「みんちゅう」!…そしていつも優しく素敵な里美社長!

www3.nhk.or.jp

お久しぶりです。

いつもよくしていただいている会社の先輩が、NHKのテレビに出ました!


本日、会社で、いま話題の「シェアリングエコノミー」の新しいサービスである「みんちゅう」を、神奈川県大和市と提携して開始しました!
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いま話題の「シェアリングエコノミー」。
日本でも広がりを見せつつありますが、この7月に、シェアリングエコノミーの新しいサービスが誕生しました。
それが、駐輪場や駐車場をシェアできる「みんちゅう」です。

みんちゅうとは、駐車場、駐輪場のシェアリングサービスです。

通常、車でお出かけした時には目的地に備え付けの駐車場、または目的地近くのコインパーキングを利用するかと思います。
駐車場って、行ってみないと満車かどうかわからないため、空いているコインパーキングを探して周辺をうろうろしてしまうこともありますよね。
近くのコインパーキングが空いてなかったら、目的地から離れた場所に停めざるをえなかったりします。
不便ですよね。

でもそんなとき、「みんちゅう」を使えばその不便さを解消できちゃいます!
駐車場を使う時間帯に、目的地近くの「みんちゅう」に登録してある駐車場を、サクッとスマホで検索して予約。
あとは予約した時間、駐車場を使うだけ。料金はクレジット決済なので、その場で現金のやり取りは発生しません。

予約ができれば、空いている駐車場さがしにかける時間もなくなるので、時間の無駄もなくなりますよね。

また、駐車場だけでなく駐輪場も同様に利用できるのです。

そんなみんちゅうは、片手間で、だれでもオーナーになることができちゃいます!

みんちゅうができることは以下の4つです!

■誰でもオーナーになれる
みんちゅうなら、自宅の駐車スペース1台分からオーナーになることができます!

■使っていないスペースが、利益を生む
車を持っているけれども通勤用に使っているので、平日の9時~17時だけ貸し出すなど、空いている時間帯を貸し出すことができます!

スマホ/PCで簡単にで登録できる
みんちゅうはアプリがあるので、スマホにインストールしてユーザー情報を登録したら、すぐに始めることができます。登録簡単、10分くらいでできます。

■固定費がかからない
ユーザー登録無料。システム利用料など固定でかかる費用もないため、オーナーにとってのリスクはほぼありません。

自分は何もしてなくても、貸し出すだけでお金が入ってくるなんて、こんなにいいことはないですよね。

楽ちんハッピー!ぜひ使ってみてください!

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里美社長からは、人との関わり方から、おもちの丸め方まで、いろいろと教えていただき、本当に感謝しております!!


実は、里美さんは、以前はすごく人見知りで人とかかわるのが苦手だったとのこと。とてもそんな風にはみえないですよね。
そんな意味でも、私にとっては憧れの先輩です。
私もこんな風に素敵な女性になりたいな…なんちゃって(笑)!

 

今後とも、みんちゅうも私も、よろしくお願いします。

 

また、以下の記事を参考にさせていただきました!

詳しくはこちらの記事をご覧ください!!

gigiweb.jp

また、みんちゅうの公式ホームページもぜひご覧ください!

www.min-chu.jp

 

 

便利な駐輪場のアプリがあります!!…久々の更新と思いきや…宣伝です(笑)

 

www.min-chu.jp

 すごく久しぶりに更新します。

ながらく更新しないにもかかわらず、ブックマークなどしてくださっている方々には本当に感謝しております!

 

 7月上旬に引越しをし、一人暮らしを始めたため、慣れない家事などで書く時間が全くとれなくなってしまいました。

 また、社会人になってそろそろ半年が経とうとしており、学生のときと異なり、書きたいことを好き放題書くわけにもいかず、なかなか手が伸びない次第です

(^^);

 遠慮してありきたりのつまらないことを書いても、このブログの持ち味ががなくなってしまいますからね*

 (東大生も大人になっています。ほほえましく見守っていただければ幸いです!!)

 


 今回はお世話になっている先輩の作ったアプリを紹介させていただきます。

「みんちゅう」というアプリで、駐輪場のシェアサービスです。

 先輩エンジニアの方がすごく一生懸命つくったサービスなので、ぜひダウンロードして使ってみてください!

 最近は会社に寝泊りしててリリースイベントの準備に取り組まれていて、渾身の一撃なんです!

 ちなみに、先輩には以前お昼にインドカレーをおごっていただいたことがあり、すごく美味しかったです(笑)。

 やっぱり関わりがある方には報いたくなりますよね♪♪

 

 最近更新しておらず、ブログのpvも落ちていますが、人情プレーで載っけておきます(笑)

 というわけで、ぜひよろしくお願いします^^!

↓ ↓

 

Android

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iphone:

みんちゅう~駐輪場・駐車場のシェアサービス~

みんちゅう~駐輪場・駐車場のシェアサービス~

  • iqsophia Inc.
  • ライフスタイル
  • 無料

 

 ちなみに今週金曜と土曜に自転車のイベントがあり、それに出店します!

自転車好きの方はぜひ。

 

www.bellesalle.co.jp

 

 

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本   <第4回>宮本武蔵『五輪書』

 少し更新が遅れてしまいました(^_^;)
 途切れと途切れの更新にもかかわらず、読んでくださっている方がいることに、いつも感謝しております!

 今回は、またおすすめ本コーナーにさせていただきます。
第4回は、鎌田茂雄さんの訳注と解説の入った、宮本武蔵の『五輪書』を扱います。

 本書『五輪書』は、皆さんご存知の剣豪宮本武蔵が、人生の最後に、自らの兵法の奥義を書物としてまとめたものだそうです。私は、原文に加え、鎌田茂雄さんの訳文や注、解説文などをつけて出版されたものを読みました。


   

 私が本書と出会ったのは、大学で合気道の稽古に励んでいるときでした。しかし、当時は、興味深く読んだのですが、なんか凄いなとか、先生方や先輩方が言っていることに近いなとか、それくらいしか感じとることができませんでした。 かなり奥が深いので、1回読んでそういうことか!、とわかる本ではないように感じます。当然、私などではよくわかりません。

 しかし、就職をして環境が変わり、そこで改めて読んでみて、これはこういうことではないかという気付きが出てきました。

 そのため、今回は本書について、私の経験を交えて書かせていただきます。



  以前読んだときには、この本で印象に残ったのは、「役に立たぬことをしない」「武蔵は理にかなったことしかしなかった」という指摘とか、「仏神を頼まず」「武蔵は仏神を尊敬したが、頼ることをしなかった」というような文章でした。本当に厳しい生き方をしていたんだなと感銘を受けた記憶があります。
  また、同時に、晩年には世を捨てて、詩歌、茶、書、彫刻などに没頭したという記述もあり、武蔵って剣で戦ってるイメージしかないのに、芸術的なこともやってたんだ、意外!と思った記憶があります。
 逆にいうと当時の私には、それくらいしか感じとることができませんでした(笑)

 しかし、これらの印象に残った点は、今振り返ってみると、全て解説文に書かれていることでした。つまり、後世の人が武蔵の文章を読んだり、どういう人生を送ったかを調べたりして、どういう風に解釈したのか、ということからしか学んでいなかったのですね。
  わかりやすくいうと、自分は武蔵ではなく、武蔵から学んだ人から学んでいたんです。
  ずっと昔の、全然違う世界に生きていた人なのですから、それが当然なんですけれどね。


 その当時から数年が経ち、学生だったのが社会人になり、大学で勉強していたのが実力主義ベンチャー企業で働くことになり、がらりと環境が変わりました。
 なんというか、とにかく自分自身で戦って生きなければいけない世界になったんだと思います。そこでちょっと気が向いて本書を読み返してみたら、解説ではなく、武蔵本人の(?)古文体の文章が、あ、これってこういうことではないかなと感じられるようになっていて、自然と心に入ってきたんです。

 今回は、その中で1番印象に残った箇所をご紹介させていただきます。



 私の心に響いたのは「兵法三十五箇条」の1文でした。

「心持ちの事 
 心の持ち様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直ぐに広くして、意のこころかろく、心のこころおもく、心を水にして、折にふれ、事に応ずる心也。」

 よくわからないと思いますが、この文章は訳文がなかったのでそのまま書かせていただきます。

 私はこの文章を、
「心の持ち様で大切なことは、恐れなどの感情で頭をいっぱいにするのではなく、水面のように澄み渡って落ち着いた心境で、頭で意識的に考えることは少しにして、心で直感的に感じることをメインにする、そして水のような柔軟な心で、その時その時、臨機応変に物事に対処するという心構えが大切である」
という意味だと解釈しました。


 なんといいますか、頭を使いつつも頭でっかちにならず、柔軟に、そのときそのときの状況に応じて物事に対処できるようになる、というふうなことではないかと感じました。

 

 私は、やはりこれまでは、勉強ということをひとつ大きな軸としてやってきました。そのため、どうしても理屈で考えて、こうなるはずではないか、こうなるべきではないのか、と頭でっかちに考えてしまうことが多くあります。そして、予想通りにいかないと、なんでこんなふうになるんだろう、わけがわからない、と困惑してけっこう疲れてしまいます(笑)。そしてあてずっぽで行動してまた、疲れてしまいます(笑)
  現実の人生を生きていくには、多分、頭を使うことも、直感的に行動することも、両方大切なんだと思います。
 一方ではなく、両方必要で、その適切なバランスが、「意のこころかろく、心のこころおもく」なのではないかなと私なりに思いました…。

  具体的には、例えば、ビジネスマナーの本を読んで、マナーとはこういうことだと頭で理解しても、それで実際何か上手くできるわけではないですよね。その知識を頭の片隅に置きながら、実際に人の中でもまれて、ひとりひとりに応じて、さらには状況状況に応じて、対応していくことが大切なんですよね。マナーの席次と違う位置に先輩が座られても、その方の意図を汲んで焦らず対応する、みたいな…。


 頭を使いつつも頭でっかちにはならず、心の声に耳を傾けて行動しつつも、全く何も考えないで行動するわけでもなく、両方をバランスよく兼ね備えて生きていく。そして、自分が水になったつもりで柔軟に、次から次へとやってくる困難に対応していく、そういうことが必要なのかなと思います。


  社会で毎日生きていくのは、私にとってはすごく大変なことですし、辛いことばかりです。日にちの決まったテストと違って、予期せぬときに予期せぬ困難、嫌なこと辛いこと、が現れます。
 そんな中で、頭で考えていては世の中理解できないことばかりだし、対処しきれないことばかりです。だから、あまり考えすぎず、適度に考えながら、水のように生きようと思いました(笑)。



   最後に、すごく個人的なことですが、自分は武人の中では宮本武蔵のファンだなぁと思いました。人気どころだと、信長や秀吉、家康あたりとか、坂本龍馬西郷隆盛あたりとか、コアなところだと、高杉晋作とか、あと中国の孫子とかにファンがけっこうついていますよね。
 私もそういう方はすごいと思うので、どんどん学びたいと思います。でも自分はやっぱり武蔵が1番好きだなあと感じます。なぜかはわかりませんが、それはもしかしたら、武蔵が自分の道をひたすら生きた人だからかもしれません。人の中で生きつつも、なんだかんだひとり我が道をいく、みたいな…。そういうところが好きかもしれない、と思うこの頃です。

   社会で生きるのは日々いろんなことが起こってほんとうに大変ですけれど、自分の軸を持ちながら、柔軟に生きていきたいものですね…。

 

参考URL:

五輪書 (講談社学術文庫)

あの地獄の5月から、はや1年…

現在、会社で課題が与えられ、ブログを書く時間が皆無に近いです。
 現在、会社で課題が与えられ、ブログを書く時間が皆無に近いです。

 でも、それで自分が続けると決めたことを止めるのも嫌なので、なんとか瞬足で書き上げました!
 少し文章が荒いのは、ご容赦下さい!



 あの地獄の5月から、早くも1年が経ちます。当時はまだブログを始めてなかったので、あのとはどのだろうと思われるかもしれませんが、私にとっては本当に人生において辛い時期であり、同時にその後人生が変わっていく転換点となった時期でありました。
 ちょうど1年前、私は2つの大きな挫折を経て、価値観や生き方が大きく変わりました。
 あの頃を思い返すと、大変感慨深いものがこみ上げてくるのです。

 
 ちょうど1年前のこの時期、私は試験勉強と合気道の稽古のことしか考えていませんでした。
 本当に、私の人生はその2つのことだけでできていたのです。


 5月下旬に国家公務員1種(現在は総合職と呼ばれています)の試験があったため、それに向けてひたすら法律を頭に詰め込む毎日でした。必修の憲法民法行政法、選択の刑法・商法・労働法、大量の法律に関する判例と、出題されそうな論点をひたすら覚える、そして過去問を解いて確認する、ただひたすらその繰り返しだけの日々でした。そのときの私は、暗記マシーンと化して感情がなくなっていました。文部科学省に入り、教育行政に携わるという夢を実現するには、それしかなかったので、とにかく闇雲に勉強していたんです。なんで、判例丸暗記しなければならないのかと、心の隅でうっすら思いながらも、やるしかないのでとにかくやっていました^^;

 同時に、合気道の稽古に対しても本気で取り組んでいました。私は2年生から、毎週月曜日の夜に、明治神宮武道場で行われる有志稽古に参加をしていました。その有志稽古は、稲葉稔先生(昭和の武蔵と呼ばれる國井善弥氏のお弟子さんです)という私の大変尊敬する先生による稽古であり、この先生と出会ってから、心から学びたいと思って、必死で通っていました。
 稲葉先生の稽古は厳しいですが、だからこそ卒業まで続けよう、少なくとも卒部までは絶対に続けるんだと思って通っていました。
 試験や面接が始まり、忙しくなるのはわかっていましたが、それでも続けることにすごく拘っていました。
 また、5月の文化祭で最後の演武会があったので、引退までラストスパートと思って、そのための稽古にも力を入れていました。

 とにかく、この時期の自分にとっては、試験勉強と稽古が人生の全て、世界の全てだったのです。
 なんと言いますか、生きていくためには、それが自分にとっては絶対必要なことで、そこでやりきらなければ先はないと感じていました。

 時間が経って振り返ってみると、その時の自分は、強烈な思い込みに突き動かされて、猛烈に行動していたんだとわかりますけどね。

 

 その後、勉強に関しては試験に落ちてこの進路を目指すのが本当に正しいのか悩むことになり、ご存知の通り、国家公務員への道は断ち、民間就職へ切り替えることになりました。

 また、稽古の方は、春に有志稽古に参入してきた新2年生や、どんどん実力をつけていくこれまで共に稽古してきた部員を見て、自分の才能の限界を感じ、ここがやめどきだと悟って通うのをやめました。部活自体は夏に引退するまで続けましたが、尊敬する稲葉先生の稽古に通うことにこだわりを持ってきたので、そのような結果になったことには本当にショックでした。


 今、あの頃から1年経って思うのは、まず、自分は、本当に思い込みが激しく、世界が狭かったなということです。
私は東京生まれの東京育ちで、中学こそ公立の中学校でしたが、高校からは都立の進学校に進み、受験は大変苦戦したものの、無事に一浪して東京大学に合格できました。だから、どこかその流れの中で、だったらその先は国家公務員だろうと決めつけていたところがありました。完全に見ている世界が体制エリートの価値観に規定されていました。
また、中学からずっと運動部だったので、とにかく諦めないで続けるべきだという、信念があり、絶対に途中でやめては駄目だと思っていました。

 

 今思うと、そんな絶対的なものなんてこの世にないので、結局のところ思い込みだったわけですが。


 他には、すごく他の人や物事に対して、私は非寛容だったなと反省しています。
 夏目漱石の『こころ』に、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という台詞がありますよね。自分はどこかそんな風に人を見ていたところがある気がします。今思えば、なんて浅はかな思い上がりだったのだろう、他人に対して冷たかったんだろうと、恥ずかしいですが。
 高校受験では、もともと学校の成績がよかったこともあり、普通に一生懸命受験勉強すれば受かってしまいました。だから、必死に勉強して、それが上手く報われて、だから世の中努力すればちゃんと最後には報われるんだみたいなことを思ってしまったんです。
 こう言ってしまうと聞こえは悪いですが、世の中のエリートでこのような考え方になってしまっている人は結構多いと思います。
 でも、私は、進学校に入ってから揉まれて、東京大学に必死に人生かけて勉強して臨んだのに落ち、現実の厳しさを知りました。
 そこではじめて、努力が報われると限らないことを知りました。

 

 ただ、それでも東京大学になんとか受かったので、やはり向上心すらない人は駄目だと、どことなく人を見下したようなところがありました。
 そして、国家公務員試験に落ちて、自分が如何に傲慢だったのかがやっとわかりました。そして、就活で挫折が続き、世の中って本当に理不尽で、努力が報われるどころが、人生かけて努力するに値するものって意外と少ないのだということがわかりました。そういうものと出会えてたこと自体が幸せなんだと、初めて気づきました。
 本当に、そこで気付けて良かったです。1年前にぽっきり折れてなければ、本当に鼻持ちならないエリートになっていました。ああよかったよかった(笑)


 それに気付いたことで、自分とは違う、世の中のいろいろな人を、はじめて心から受け入れることができるようになったように思います。
 それまで 無意識に、上昇志向が強かったので、成功者とか、エリートとか、そういう世界や人ばかり見ていました。
 でも、それだけでは駄目なんだと気付けました。
 

 世の中の優秀な人、勝ち組の人には、駄目な人、負けた人、目立つ欠点などを否定して、排除する人が多いと思います。そして優秀な人だけで狭い世界を作ります。
 自分はエリートコースを歩むうちに、そういう価値観に呑まれていた気がします。
そういう人達だけでなく、本当に世の中にはいろいろな人がいて、確かに駄目なとこや欠点や、いろいろあるけれど、人間として毎日一生懸命みんな生きているんだということ、それが大事だと思うようになりました。
 そういうことに気づけるようになったおかげで、そこから本当の意味で人を思いやったり、手を差し伸べたり、そういうことが徐々にできるようになってきたように思えます。まだまだ少ししかできませんけれど。



 

 まとまらないものをまとめると、結局のところ、自分は思い込みで前に進んでて、視野が狭くなっていたのだと思います。
  外から見てみると、何頑張ってんだとか、勉強よりもっと遊んでコミュニケーションとったほうがよいよとか、そういうふうに見えると思いますし、それはもっともだと思います。
  しかし、実際それを言われると、何かに人生かけたこともない人に、何がわかるんだろうという気もしてしまいます。

 でも同時に、頑張ってないからとか、上手く就職できないからとか、そういうことばかりで人を見て、ダメだと決めつけるとか、そういう人を見下したり排除したりとか、そういう姿勢にも凄く違和感を感じてモヤモヤします。


 本気で頑張って進んで来なければ、納得できず、後悔だらけの人生になっていました。
 でも、頑張って頑張って、挫折をしなければ、傲慢で、人を思いやれない狭い人間になっていました。
 どっちも一長一短で、どっちも大切で、ひたすらモヤモヤして、答えが出ません。

 とりあえずのところ、最近思うのは、人生って、普通に生きていれば、寝て、起きて、ご飯を食べて、食べるために労働して、同じことの繰り返しで、そのうち老いて、死んで、それだけのつまらないものなんじやないかということが1つあります。
 だから人生って、何もしないとただだるくてしんどいだけなのではないかと…。

  それなので、どうせ生きて、そのうち死ぬなら、何か思い込んで、夢中になって行動するのもありかなーと。そうして始めて気づけることもたくさんありますし。

 

 おおざっぱですが、これがとりあえず現段階での自分の結論です。きっとまた考え方もいろいろ変わると思いますけれど…。


 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

 皆様、生きるのは毎日大変ですが、良い1日をお過ごし下さい(^^)*


コミュ障東大生の最強処世術ー人と関わるのが苦手なわりにリア充な私の、人間関係戦略ー[2]

[2]フレームワークの転換

 今回は、コミュニケーションに対するフレームワークを転換することについて書きたいと思います。

 今回からは、これまで文章が抽象的すぎたのを反省して、少し書き方を変えてみたいと思います。理想は、誰にでもわかりやすく、かつ内容は深い文章です!

 さっそく難しい言葉を使ってしまいましたが、「フレームワークを転換する」とは、見方・考え方を変えるという意味です。つまり、コミュニケーションにおいて、これまで人に言われるなどして、当たり前と思っていた考え方を、もう一度捉え直してみようということがテーマです。

 具体的には、
・人に話しかけることと人から話しかけられること
・集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか
という2点について書いていきたいと思います。

⑴人に話しかけることと人から話しかけられること

 コミュニケーション能力が低いと思ったとき、多くの人がまず考えるのは自分から人に話しかけなければということですよね。
 しかし私は、それよりも、とにかく声をかけてくれた人にありがとうと思って丁寧に対応することの方が大切だと考えます。


 例えば、学校で新しい友達をたくさん作ろうと思ったとします。そのとき、まず多くの人は、自分から周囲の人へ話しかける回数を増やそうと考えるはずです。そして、親や教師からはそういうふうに教えられてきたはずです。
 それで上手く行く人も当然たくさんいますし、人に話しかけることが楽しければ何も問題はありません。

 しかし、本当に人と関わることが苦手な人は、声をかけること自体に多大な勇気が要りますし、頑張って声をかけても声が小さかったり、冴えない人間だったりすることで、無視されたり、雑に扱われたりと嫌な思いをすることも沢山あります。
 クラスの人気者が話しかければ笑顔で答えていた子が、冴えない自分が話しかけたときはそっけないというような経験はありませんか?私はずっとそうだったので、いくら自分から声をかけ続けても思うように関係を構築していくことができず、自信も全くつきませんでした。

 それよりも、人と関わる上でまず大切にすべきことは、向こうから声をかけてきてくれた人に、ひとりひとり、ありがとうという気持ちで丁寧に対応していくことだと思うんです。
 どんなに人気がなくても、声をかけられることはどこかのタイミングであるはずです。当然他の人よりも回数は少ないですが。そのタイミングを逃さず、折角話しかけてきてくれたのだからとその人と関わる、そのひとつひとつの積み重ねが人との関係を作っていくと思います。
 そして、このやり方なら、無理に声をかけなければとメンタルを蝕まれたり、焦って突拍子も無いことをしてしまったり、自分のペースを変に崩す必要もないわけです。

 逆に、それができたら、ある程度自信がついたところで、自分から話しかけたりすることもできるようになっていくと思います。
 

 また、誰からも声をかけてもらえないというのならば、何かひとりででできることに打ち込むのもよいと思います。何かに一生懸命な人には、自然と誰かしらが興味を抱くようになります。そして人から話しかけてもらえる機会が増えて、少しづつ人間関係も良くなっていく気がします。始めに自分磨きありきという考え方です。



⑵集団単位で人と関わるのか、個人単位で関わるのか

 学校や社会で生きていると、とにかく集団行動を教えられるので、人間関係に関して、集団単位で考えがちになります。
 集団に上手く馴染めているかとか、会話に入れているかとかそういうことにばかり目がいきますよね。
 しかし私は、人と関わる上で大切なのは、集団でわちゃわちゃすることよりも、1対1で人としての関わることなのではないかと考えます。

 例えば、上記と同じ学校の例ですと、クラス内のグループのどこかに入らなければとか、人が集まって会話していたらそこに入っていかねばならないとか、そういうことばかり考える人が多いと思います。そして、実際にどこのグループにも入っていなかったり、人の輪に入っていなかったりすると、それではダメだ、ちゃんと輪に入るべきだと主張する人が多いですよね。

 でも私は、人との関わりの基本は、やはり1対1の人間関係だと思うんです。立場に関わらず、どこでもどんな時も、ひとりひとりそのとき出会った人との関わりを大切にする、それが大事だと思います。

 

 例を挙げると、クラスの人気者Aさんが話しかけてきたときや、会話の中心になっているBさんが話を振ってくれたときだけに、自分はグループに所属できたからうまくいったのだと喜ぶのではなく、クラスの端の方で、いつもおとなしいCさんが声をかけてきたときも、道でばったり会ったDさんとおしゃべりしたときも、関われてよかったなと、個人単位で判断していくということです。

 現実には、集団で話をしていると何がなんでも輪に入ろうとするけれど、輪から外れたとこで地味な子がひとりでいても、誰も相手にしないということがよくありますよね。私が大切にしているのは、例えばそんなCさんが輪の外で話しかけてきても、個人として関わって、その関わりに感謝するということです。

 



 以上、2点について述べてきましたが、やはりふつうに学校や社会で過ごしていると、自分から話しかけなくてはとか、会話に入らなければダメだとか、そういうふうに思い込んでしまいます。学校でそういう教育を受けていますし、社会とはそんなものなので当然そうなります。でも、こうやって少し見方・考え方を変えてみると、コミュニケーション能力最底辺の社会不適合者だとしても、まだまだできることがあるように感じませんか。

 そもそもコミュニケーションをしろと言ってくる人は、無意識に人と上手く関われてしまう人が多く、普通の人と同じようにできない人の気持ちが基本的にわかりません。そのため、なんの考えもなく、輪に入れ、ぼっちになるなとか言ってきて、そういうひとに限ってなんの有益なアドバイスをしてくれないことが多いと感じます。それでひとと関わるのが本当に苦手な人は、やっぱり自分はコミュ障でダメなやつなんだと自信をなくし、人と関わるのが嫌になっていきます。
 でも、少なくとも私は、そんな最底辺から、自分なりのやり方でのしあがってきました! 

 だから、そういう自分を否定してくるような人の言葉には耳を貸さず、このブログを読んで元気を出して過ごしていただけると嬉しいです(笑)

 

 最後に、本見解は、タイトルどうり、あくまで私個人が「東大生」として考えた意見を書いたものであって、社会人としての意見をを書いたものではないことにご注意ください。

 また、一流の接客業の方や飛び込み営業で成功されている方などで、なんとなくではなく、本気でスキルとしての対人能力を身につけたことで、できない人にもしっかりしたアドバイスをできる方もいらっしゃいます。
 そういう方の見解にはまた別に学べることが沢山あるので、私の見解はそれらを否定するものでは全くありません。

 以上にご注意いただいた上で、文章をお楽しみいただければ幸いです。

 少しはわかりやすく書けていたでしょうか^^;…

 

 

ちょっと変わった東大生の読んだおすすめ本   <第3回>鎌田浩毅『成功術 時間の戦略』

 いつも読んでくださる方々、大変ありがとうございます!

 筆者は4月から働き始め、あくせくと新しい環境に適応している最中です。少しペースが落ちることもあると思いますが、これからも継続的に更新していきたいです!

 

 今回は再びおすすめ本のコーナーにしようと思います。


 第3回は、鎌田浩毅さんの『成功術 時間の戦略』を扱います。この本は、時間の使い方に対する戦略を書いた本です。  

 

 

 4月になり、内定先の会社で働き始め、そういえばだいぶ前にこんな本を読んだなと思い出しました。
 環境が変わって、大学時代とはまた時間の感覚がかわり、改めて時間について思いを馳せました。また、社長から時間の使い方についてのお話があり、私にとってまさにタイムリーな本です。

 

 この1冊は、時間をうまく使うことが苦手であったり、つい予定がないとだらだら過ごしてしまうという方、オンオフの切り替えが苦手という方などに読んでいただきたいです。また、これから成功を掴み取っていきたい方におすすめです。

 

 著者の鎌田さんは、東京大学理学部を卒業し、通産省地質調査所主任研究官等をへて現在京都大学の教授をされている方です。面白い講義が学生に人気で、テレビにも出演されています。

 

 では、私がこの本の中で特に印象に残った、第1章と第9章を中心に紹介していきたいと思います。


 第1章では、「活きた時間」と「死んだ時間」について扱われています。

 

 鎌田さんは、時間について、以下のように書かれています。

「誰にも1日24時間が与えられているが、その使い方によって、人生は千差万別に違ってくる。」
「私たちは自分の持ち時間について、もっとよく考え抜く必要がある。…(中略)…誰にも平等に与えられている時間を、どのように費やすべきだろうか?活きた時間として過ごすか、死んだ時間にしてしまうかでは、決定的な差が生まれてしまう。」

 

 そして、「活きた時間」とは例えば、わかりやすいものだと、時間が経つのを忘れるほど、夢中になって小説を読んだり、汗を流しながらスポーツに熱中しているような時間だと述べています。
 また、活きた時間とは、「現在過ごしている時間が、未来の創造へ向けて活かされているような時間」だと定義しています。

 

 逆に、「死んだ時間」とは、惰性でだらだらと過ごしてしまうような時間のことです。例としては、だらだらと意味のない作業を続けたり、面白くないのに飲み会にでたりする時間をあげています。

 

 鎌田さんは、このような「生きる密度によって感じ方の異なるような時の流れ」について問題意識を持っているのです。

 そして、いかに死んだ時間を排して、活きた時間を多く過ごすかが大切だと主張されています。


 この本がきっかけだったかどうかはあまり覚えていませんが、私は常に有意義な充実した時間を過ごすことにすごくこだわりを持ってきました。
 特に高校3年生のとき、東京大学に一度落ちて挫折し、心を入れ替えて以来、どの1日たりとも無駄な日は過ごしてきていないという自負があります。(ときにそれが無駄なプライドとなってしまいますが笑)

 

 それが良いことなのかどうか、正直なところよくわかりません。私は、逆にのんびりと平凡で平和な毎日を過ごすことができなくなってしまい、退屈な日が続くと本当に死にたいような気持ちになってしまいます。それも問題ですよね。

 そして、充実した、常に成長できていると感じられる時間を過ごすことにこだわったら、なんだかものすごく濃くて、大変で…なんとも猛烈な企業で働くことになってしまいました(笑)。

 

 ですから、当然、全ての時間を有意義に過ごすことを、全ての人がやる必要は全くないと思っています。私はそれぞれどんな人生が送りたいかって、好みの問題が大きいと考えているので。

 でも、毎日が同じことの繰り返しであるような色あせた毎日に、少しでも疑問があるならば、「活きた時間」を過ごすことを意識してみると、1日1日が全部違う、ときに新鮮な感動が得られる日々が送れるかもしれません。

 

 

 次に、第9章ではオフの時間について扱っています。

 鎌田さんは、オフを「仕事をしているのがオンとすれば、スイッチを切った
状態」であると定義して、戦略的なオフの時間をとることをすすめています。

 

「よい仕事を成し遂げるためには、頭をフルに使わなければならない。しかし、そのためには合間に効果的な休みを入れる工夫も必要だ。」

 


 著者はオフの種類を3つにわけて紹介していますが、ここでは割愛させていただきます。

 結論としては、「仕事に熱心な人ほど、仕事から離れるのに困難をともなう。仕事中毒から抜けるのには技術がいる。努力して強制的にスイッチオフの状態に持ち込む必要があるのだ。」と、仕事に一生懸命になる人ほど、努力して意図的にオフの状態を作ることが重要だと指摘しています。

 

 みなさんは、東大生というと、ガリ勉のようなイメージもお持ちかと思います。しかし、実は東大生にはオンとオフの切り替えが上手くて、むしろ趣味が充実している方が沢山いるんです。

 集中するときは集中して、リラックスして楽しむときは楽しむ、いうことです。

 

 実は、オフに関して、私は過去にすごく大きな失敗をしています。高校時代、東京大学を目指した受験勉強と、互いに切磋琢磨する厳しい運動部活動と、両方に力を入れて過ごしており、どちらも成功させたいがために趣味などに費やす時間を全て削っていました。

 はじめはそれで時間が増えた分、伸びたような気がしましたが、しばらくすると成果は頭打ちになり、最後には心身ともに余裕がなくなって、怪我、人間関係の歪み、不眠症、勉強に集中できない…と、がらがらと崩れることになりました。


 そこで反省し、毎日リラックスする時間を決めてオフを取るようにして、ペースを取り戻すことができたのです。

 

 世間では、とにかく量をこなした方がよい、休まず働くことが素晴らしい、というような価値観がありますが、継続的に結果を出して成長していくには、メリハリということが大切なように感じます。

 

 就職して働き始め、忙しい毎日なので、私もしっかりとリラックスする時間をもうけて、以前のように潰れてしまうことのないように頑張りたいです!

 

 以上、1章と9章について紹介してきましたが、この本には他にもいろいろと人生の時間の使い方に関する戦略が書かれています。

 私がこの本を読んだのは、ずいぶん前のことになるので、ああ、戦略とか立てても人生思い通りにならないものだと、今は思っています。

 でも、もっとこうなりたい、こうしたいという気持ちで、自分が生きている時間を有意義に使おう、そして充実した後悔のない人生を送ろう、そういうことって誰にとっても大事なことである気がします。

 

参考URL:

成功術 時間の戦略 (文春新書 (443))

東京大学卒業式 〜人生のレールを乗り換えていくにあたって

  東京大学を3月24日に卒業致しました!

  その後海外旅行に行っていたため、更新とコメントへの返信が遅れている次第です

^^);

 今回は、前半に東京大学の卒業時にやるべきこと、卒業式の状況などについてまとめ、後半に、大学を卒業するにあたって考えたこと、感じたことなどを書いていきたいと思います。

 

 なので、東京大学の卒業式について知りたい方は前半を、いつものような文章を気に入って下さっている方は、後半から読んでいただければと思います!

 

東京大学卒業式の手順や注意事項についてー

 卒業式当日の流れに沿って、東京大学卒業時にやるべきことや注意点についてまとめたいと思います。

 

 というのは、自分が卒業式にあたって、気になった疑問点を検索しても、意外とネット上に情報を見つけられなかったので、こういうのがあったらよいなということで作ってみました!

 

  1. 当日の服装

・女性は袴、男性はスーツの上にアカデミックガウンが多いです。

女性で袴の上からガウンの方もいましたし、私などは振り袖を着るのが嫌なので、女子なのにスーツとガウンでした!

 

ガウンを着るタイミングは?電車の中でアカデミックガウン着ていたらおかしくないかな?個人的には気になりましたが、調べてもあまり分からなかったので困りました…(^.^);

袴を着る人は、本郷三丁目付近のどこかで着替えていた方が多いみたいです。ガウンは持っていって学内で着る人もいたようでしたが、私は家で着て、上からコートを羽織って電車に乗りました。

 

  1. 安田講堂での卒業式

安田講堂講堂周辺は、当日すごく混雑し、講堂に入るまで並びます。

卒業生が安田講堂に入りきらず、あぶれた人が御殿下でパブリックビューイングをするはめになると、メディアで騒がれていますよね。講堂に入りたいのならば時間に余裕を持って行く方がよいです。

・では、並ぶ時間はどれくらいなのか、何分前に着けば入れるのか?自分にとっては1番欲しい情報でしたが、これもネットで見つかりませんでした。

結論としては、私は30分前に並びはじめ、1階に座れました!

ただ、赤門前や講堂前で写真を撮ったりして意外と予定より多く時間がかかったので、できるだけ余裕は持ったほうがよいです。

 

  1. 卒業アルバム受け取り、生協退会

キャンパス奥の第2生協食堂に行きます。

・3階にあがり、申し込みをしていた卒業アルバムを受け取れました。

とにかくかさばって重いので、事前に受け取れる方はそのほうがよいです。

・1階では、大学生協の退会手続きをしました。

退会すると、出資金が返還され、1万6千円も受け取れました!これは嬉しいですね。

 

  1. 学位授与式

・卒業式の後は、各学科に分かれて学位授与式が行われます。学位記をひとりひとり前でもらいました。

・このときに、学生証を返還する必要があります。

・卒業証明書と成績証明書は貰えるので、気にしなくても大丈夫でした。

 

  1. 謝恩会

・あとは、学科などで行う謝恩会です。ここも服装が気になるところですね。

女性は袴のままの方も多いですが、長く着ていると疲れるので、ドレスに着替えてから出る方が多いです。男性はほぼスーツです。

 

 以上、大雑把ですが、どなたか私のように困っている方の参考になれば嬉しいですね。

 

—大学卒業に際して:人生のレールを乗り換えていくにあたってー

 後半は、東京大学卒業を控えたここ1ヶ月程で考えてきたこと、感じたことについて書いていきたいと思います。

 

 まず、いざ卒業するとなったときに思うのは、自分はやっぱり東京大学が大好きなんだなということです。

 

 テレビなどで、恋愛をしてこなかった東大生を笑いの種にする番組がありますが、私は、いってみれば東京大学にずっと恋をしていたのだと思います。

 人としてそれはおかしいという意見もあると思いますが、自分にとっては、それで充分、恋愛の要素が足りていました。

 高校入学当初から、目標として東大のことをずっと考えてきました。また、受験が近ずくにつれ、朝から晩まで東大のことを考えるようになりました。

 その目標があれば自分は強くいることができましたし、毎日が満ち足りていました。

 一浪して合格したときには、幸せがひたひたと、全身を満たしていきました。生きていてよかったと実感できました。

 そして、入学後には東大は人生が変わるような成長をたくさんさせてくれましたし、常識とずれている自分でも心を通わせられる出会いと仲間をたくさんくれました。最後には、学外での素晴らしい出会いとも繋っていきました。

 

 だから、私は東京大学が、本当に本当に大好きなんです。

 

 

 しかし、同時に4年間をそこで過ごし、挫折も沢山経験すると、嫌なところもたくさん見えてきます。

 

 古くからの伝統をもつ、アカデミックな世界。それは同時に視野の偏った融通の利かない世界でもあります。学問をして、全部を知った気になっても、それは古くてしがらみの多い、学問的な枠の中とその延長線上だけで、見たり考えたりしているにすぎないのです。

 だから、理屈が現実社会から離れて、何の役にもたたなくなってしまうことも多くあります。

 

 誰もが認める、世界的な大学。それは同時に、ブランドや権威に人が集まり、そういうものばかりに評価が行く世界でもあります。

 最近世間では、起業起業と騒がれていますが、周囲はやはり国家公務員や有名大企業への就職が圧倒的に主流です。それか、あとは言わずもがなの研究者ですね。(ちなみに研究者については、これはこれで、修羅の道ですが…。)

 

 そういうところには、本当に優秀な人が入っていきますし、よい仕事をしているところもたくさんあります。

 でも、就職に際して、そこが本当によい仕事をしているのか、社会に貢献できているのか、自分の志と一致しているのか、そういうことを考えている人は本当にひと握りであるように思えます。

 みんな、周囲に流されて何となく就活して、ブランドを基準に企業を選んで。内定を獲得したら、やれゴールドマンサックスだのマッキンゼーだのとひけらかしてよい気分に浸る。そういうところに内定した友人がいることで、自分もよい気分になる。就活生に関しては、そういう風潮が否めません。

 

 本当に社会を自分がよくしてやるとか、なにか偉大なことを成し遂げてやろうとか、そういうことが優秀なわりに前面に出ていかなくて、安定した生活が送れればそれでよいのだと、そこで満足してしまう傾向が目立つ気がします。

 本当に優秀な人ばかりだし、みんな努力家だし、意識が高い人も多いし、でもなんだかんだ枠の中に収まってしまって、本当に新しい可能性を開いていくような人は限られてくる。そのような現実があるように思えます。

 

 でも、それは東大生だから悪いとか、そういうことでは全くないと感じます。みんなひとりひとり自分なりに人生頑張って生きていて、本当に尊敬できる人達ばかりです。 でも、社会は所詮人間の集まりで、人間には完璧な人なんて存在しなくて、集団心理でみんな何となく生きていてそういう風になっている、ただそれだけのことなんだと感じます。

 

 そして自分はそんな社会の枠の中に上手く居場所を見つけられませんでした。そしてそういう現実にここ半年くらいで気づいていって、無理して合わせることに魅力も感じられなくなり、結果的に新しい方向に進んでいくことになりました。

 

 

 それにより、これまでとは目指してきたものも、価値観も、徐々に変わっていきました。意図せずして、目指すものが変わったことで、付き合う人までも変わっていきました。

 

 自分がこれまで絶対的に信じてきたこと、強く思い込んで身を捧げてきたこと、そういう事柄と離れていくことになりました。

 そして、これまで尊敬して大好きだった人達との付き合いもどんどん減っていくことになりました。その人達を尊敬する気持ちに全く変わりはないのですが、ずっと一緒にいても自分のさらなる可能性は見出せないとわかっているから、離れていくしかありませんでした。それが無性に寂しくて悲しく感じます。

 

 でも、寂しいからといって、そこでもう成長していけないのなら、新しい世界に進んで自分なりの可能性を切り開いていかなければなりません。

 それが、人生の「レールを乗り換えていく」という事なんだと思います。

 それは、既存の価値観に捕らわれて、身動きが取れなくなり埋もれてしまうよりも、ずっと大事な選択だと考えます。

 

 そして、寂しくても、名実共に、大好きな東京大学を卒業していかなければならないのだと思います。

 

 

 いよいよ、4月から新しい生活がスタートします。

 ビジネスも、ベンチャーも、ITもエンジニアリングも、自分がこれまで勉強してきたこと、自分が仕事として携わっていきたいと強く執着してきたこととも全く違う世界です。

 

 でも、ここからようやく周囲と同じように、エリートコースを走るのではなく、オンリーワンの自分の人生を生きていけるのだと思うと、すごくわくわくした気持ちが湧いてきます。

 

 これから、ひとつひとつ困難を乗り越え、社会人として自立した、新たな自分になっていきたいです!!